萱野三平基(かやのさんぺいがはか) 萱野谷芝村陽光院にあり。
名を重次(しげつぐ)と号す。すなはち芝村の産なり。その操清傑にして、その行孝義なり。播州赤穂の城主浅野侯に仕ふ。
元禄十六年春正月十四日亡君の仇を報じて義死す。洞郭道義唐土と号す。いはゆる四十七士のその一人なり。
江戸芝泉岳寺にも墓碑あり。


萱野三平の墓 箕面市萱野5 
共同墓地内 南山と呼ばれた千里丘陵にあったが、開発によって移された。
三平が没して35年目に、兄の孫萱野重好と甥北河原長好によって建てられた。


萱野三平墓誌銘
人之為人 以性命理 性命理何 仁矣義矣 仁義用者 忠耳孝耳
違則小人 順則君子 三平忠孝 両全一死 維石不隣 令名在是
元文五年庚申正月十四日    文字は百拙元養、撰文は堀南湖


萱野三平旧邸(かやのさんぺい) 箕面市萱野3-10-4
長屋門と土塀の一部が残存し、三平の俳句の雅号に因んで涓泉亭(けんせんてい)の名で保存されている。

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萱野三平像 切腹した部屋に安置。 延宝3年(1675)、萱野の地に誕生した三平は、父重利の主人である大嶋出羽守の推挙により、貞享4年(1687)13歳の時、播州赤穂の浅野家に中小姓として仕官。
浅野内匠頭の吉良義央への刃傷事件後、萱野へ帰った三平は、大石内蔵助の仇討ちに名を連ねていたが、父重利は、大嶋家へ迷惑が及ぶことを思慮して許さず。
忠義と孝行の板ばさみに苦悩した三平は、元禄15年(1702)1月14日、自宅長屋門の一室で自刃し、27歳の生涯を閉じた。


旧邸模型
明治17年、萱野にあった2棟の建物は伊丹と吹田に移築。伊丹市下河原に移築された一棟は入江家住宅として現存。
模型は入江家住宅を旧邸に復元したもの。


辞世の句碑 晴れゆくや日ごろの心の 花曇り  涓泉

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