猪名川(ゐなかは) 久安寺川・多田川二水木部村に会して流れ、池田に至って池田川といふ。下河原・北川原・桑津等を経過し、田能村に至り分かれて二流となり、一は椎堂・富田を歴て戸の内に至り神崎川に入る。一は西に流れて藻川といふ。
食満・額田・高田を歴て神崎に杢り神崎川に入る。 この川筋豊島郡・川辺郡の二郡に跨がり流れ下るゆゑ、ここに出だす。
初夏より秋に至り鮎・[魚追・いしぶし]など多し。漁者釣を垂れ、または手網をもってこれをとる。暑中の一興なるペし。
和歌に猪名の河原と詠めるは、今の中河原村なるペし。また猪名の溝川と読めるは、今の猪名川の西、川辺郡加茂村の下に有りて、水上は西明寺滝より流れて猪名野に続く溝川あり。これに寄すならんか。猪名川『夫水集』摂津国と云々。
    『万葉』      かくのみに有りける物をゐな川のおくをふかめて我おもへける       読人しらず
    『後堀川』      年をへぬさのみはまたじしなが鳥猪名の溝川澄ましとすらん       俊 頼
    『六帖』       千鳥啼くいなの河原を見る時はやまと恋しくおもはゆるかな        貫 之
    『夫木』      有馬山みねの嵐に月さえていなの河原に千鳥なくなり        伊 嗣
     同        五月雨にゐなの川岸水こえて小笹がはらやいづこなるらん       後法性寺関白







猪名川(いながわ)は、兵庫県及び大阪府境付近を流れる淀川水系の支流で、一級河川。


呉服橋より上流


下流

 猪名川 ゐな川にてすまひ取を見て狂歌をよめる 
浮足もならぬ蛙の猪名川や水のちからのまさるさみだれ 籬島

寺社び修復などの勧進名目の相撲が各地で開催されたが、中でも池田は多くの相撲取を生み、育てた。


猪名川政右衛門の碑
猪名川政右衛門は江戸時代中期に活躍した池田出身の力士である。元文4年(1739年) に池田の酒造業 多田屋に生まれたといわれ、宝暦5年(1755年) に藤島部屋に入門。翌年 初土俵を踏んだ。
最高位は小結であったが 人柄や取り口から人気を得、浄瑠璃 関取千両幟 の主人公のモデルとなるなど、当代きっての花形力士であった。
天明6年(1789年) 引退し 、その後 年寄初代 猪名川(現在の安治川として、大阪相撲の発展に貢献。寛政12年(1800年) 62歳で没した。
彼の存在は 池田の相撲熱を大いに高め、刺激を受けた プロ・アマ力士が池田から誕生した。まさに 近代池田文化を象徴する人物の一人といえる。



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