池田(いけだ)旧名呉服里と云ふ。
豊島郡都会の地にして交易の商人多し。これより北の方の山家より所々の産物を運び出でて、朝の市・暮の市とて商家の賑ひ、ことには酒造りの家多くありて、猪名川の流水を汲んで造る。味ひ美にして官家の調進とすごれを世俗池田酒と賞して名産とす。
また北の方の山家より炭を多く製して出だす。この所の市店へ運び交易すれば池田炭といふ。茶席の炉中に焼いて可なり。
また薬種ウイキョウ名産なり。この他の町名十六。
『夫木集』云ふ 「摂津国池田、また遠江国に同名あり」と云ふ。
 『真木』   そのかみの里は川瀬となりにけりここも池田の同じ名なれど    参議為相
 同      いつくさのあひみだれたるたなつもの池田の里に雲をなしっつ   兼 仲



慶長19年(1614)大坂冬の陣に徳川家康の元に池田村庄屋・村役人が陣中見舞いとして池田の酒を献上して、家康から朱印状を下付され、酒造株を与えられたことで発展しました。
「江戸下り酒」として有名を馳せた池田酒も新興の地の利の良い灘が隆盛すると衰退。戦後は4軒、現在では「呉春」の呉春と「緑一」の吉田酒造の2軒だけとなっています


呉春酒造 池田市綾羽1-2-2
明治年間に「聖運」を造っていた西田与兵衛が廃業したのを譲り受け、「呉春」を高級酒として醸造。
戦後は、「聖運」を止めて、「呉春」のみを販売。谷崎潤一郎にも愛された池田を代表するブランドになっています。


吉田酒造 池田市栄本町7-10
主屋、庫、塀 国登録有形文化財(平成19年5月15日登録)
池田は、江戸時代は諸街道が集まり物資の中継地として賑わいました。特に酒造業は、明暦3年(1657)に42軒の酒造家が確認され、北摂地域の中心地として繁栄しました。
吉田酒造は、元禄期(1688〜1703)に酒造家として史料に記される「賀茂屋平兵衛」につながる酒造屋です。
主屋は明治10年(1877)の火災後に再建されたものです。本瓦葺2階建で、軒高のある2階壁面と虫籠窓の窓枠と格子は黒漆喰とし、袖卯建(そでうだつ)を設けるなど江戸時代と差異がなく、大型酒造業の主屋形式を近代に伝えるとともに、技術・材質にも優れた外観を形成しています。
さらに、主屋に付属する蔵・仕舞屋風を形成する高塀も含めた佇まいは、近代初期の酒造屋と近世以来の銘醸地池田の繁栄を今日に伝えています。    平成20年9月 池田市教育委員会


能勢街道に面するこの辺りに呉春が住んでいたという。


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