藤井三淳碑(ふぢゐさんじゅんのひ) 寺内村の上方、観音寺にあり。
藤井三淳は初め尼が崎城青山侯に仕へて、若冠より叡智にして、博く経史に通じ篤く理学を好む。つひに官を辞して南郷石蓮寺村に隠る。つねに医をもって莱とし病者に薬を与ふれども報を責めず。郷人窮する時は財を捌ってこれを賑しめ、愛憐感愍ほとんど厚し。聞くものことごとく服して父母のごとくす。しかれども権貴の家公卿の館束帛をもって幣すれども多病をもって往かず。
つひに享保三年十一月十三日没す。春秋七十六歳。郷の東北岸柳山の陰に葬る。門人今西玄芳碑碣を墓前に建つ。



岸龍山観音寺 豊中市寺内町1-13-1
行基菩薩開創にして多田満仲公本尊として崇拝され、徳川家康公大阪夏の陣中より具足を以て燈籠をつくり戦勝を祈願されたといわれる「くさづり」の燈籠を今に伝える。
僧一山が再興して臨済宗妙心寺末となるも、寛政4年9月一山の没後は法灯も消え、明治6年3月廃寺となる。


堂内には行基作と伝える観世音像が安置されている。


白蛇大明神 


 稲荷天明神


咤枳尼天


忠魂碑(昭和31年10月建立)と英霊の墓                
無住の寺で、地域の方が墓地を管理されています。
尼崎城主青山侯に仕えた医師藤井三淳(享保3年没)の墓石がある(未見)。

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