宝珠寺(ほうじゆじ) 熊野田村にあり。浄土宗。鎮守牛頭天王。当村の生土神とす。
本尊正観音 行基菩薩の作。
花山法皇御塔・仏限上人塔(かざんほうおうみとう・ぶつがんしやうにんとう)ともに境内にあり。石浮図の古墳なり。
むかし花山院、仏眼上人を導として、観音の霊場三十三所を順礼したまひ、その後仏眼上人に詔して畿内に熊野山を移さしめたまふ。上人摂州豊島郡仏念山熊野権現の霊地なりとて、ここに勧請しける。ゆゑに山号を熊野代山といひ、村名を熊野代といふ。今は熊野田と書き訛るなり。
宝珠寺(ほうじゆじ) 豊中市熊野町3-10-1
浄土宗 熊野代山 八坂神社の神社の上座にある。
長徳期(995〜998)の創建で、仏眼上人の開基と伝わる。
飛鳥時代の金銅菩薩立像が伝世されている。 本尊・木造彩色聖観音菩薩立像は平安時代後期のもの。
鐘楼
三重宝篋印塔(花山法皇御塔・仏限上人塔)
八坂神社(やさかじんじゃ) 豊中市熊野町3-10-18
万葉 玉かつましまくま山の夕碁に ひとりか君の山路こゆらん 寂蓮法師
当社は、長徳2年(996)花山法皇諸国御巡遊の砌地形が紀州熊野に似たるを見、その導者である佛眼上人に命じ「くず谷」山に社殿を造営され、熊野権現を祀り、神領地を寄進せらる。
鎌倉時代に至り、熊野神の信仰は全国的に普及し、また瘡の神として遠来より参拝者も多くあったと伝えられる。
永正丙寅9月社殿が再建されたが、天正7年荒木摂津守村重の兵戦により神殿は破壊せられ、神領地も亡失した。
慶安2年8月10日(1649)漸く老杉古松の現在の地に再建された。
往古は葛上神祠と称し、後牛頭天王と呼ばれ明治3年今の社名に改められる。 |
拝殿 祭神:素盞嗚尊