星の宮の由来 星の宮は、五月山のふもとにある穴織宮伊居太神社の末社(御旅所)で、星の大神を祀っています。その昔、仁徳天皇の御世、わが国に織物の技術がなかった頃、中国大陸から漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)の両姫がこの地に渡って来られ、綾錦(あやにしき)を夜おそくまで灯もちけず機を織っていると、多くの星が天から降りて来て織殿を真昼のように明るく照らしてくれたので、灯りをつける必要がなく機織ができたといわれています。こうしたことから「星の御門」と称されています。 そこで、星の宮を建てて、織殿を照らした星立ちを「明星大神」と申し上げてお祀りしています。 その後、度重なる兵乱に遇いお社は焼失してしまいました。寛正4年(1463)に池田城主筑後守勝正が伊居太神社本殿と末社を再建されています。 その後も焼失・再建を繰り返しましたが、村民の信仰が厚いことから『日月清明 五穀成就 天下泰平 萬人安全』でありますようにと願ってこのお社が再建されました。現在のお社は明治初期の建物であろうと推測されます。 現在、建石町町内会がお社をお守りし、毎年十月二十七日星の宮例祭が行われています。 色てるや 星の御門の 梅の花 止丸「俳諧呉服絹」 平成18年3月吉日 建石町町内会 |
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