仏日寺(ぶつにちじ) 麻田にあり。
領主青木甲斐守(法号湛山)草創し、黄築山恵林(えいりん)和尚を招請して開基とす。




佛日寺(ふつにちじ) 池田市畑1-18-17
黄檗宗万福寺末寺 
寛永7年(1630)麻田藩主2代青木甲斐守重兼(しげかね)が、天王山(豊中市蛍池東町)に松隣院(しょうりんいん)を建立し、承応3年(1654)この地へ移建。
万治2年(1659)黄檗宗祖隠元禅師を招いて開山とし、観光山麻耶寺と号すも、すぐに麻耶山仏日寺の改称。
麻田藩菩提所として大伽藍を構えるも、明治維新で寺領200石を失い、縮小す。


本堂 本尊:釈迦牟尼仏 万福寺の本尊と同作。
    脇侍:多聞天(左)・寺伝弁才天(右)


開山堂 初代藩主青木一重・2代重兼・隠元・恵林和尚の木像と青木家の位牌を安置。
青木一重(あおき かずしげ・1551-1628) 麻田藩は、大坂南部の狭山藩とともに1万石余の外様大名である。 青木氏は戦国末期美濃国にあり、初代藩主の父、垂直(しげなお)は初め土岐頼藝に仕え、のち斎藤道三に属して軍功があった。 斎藤氏没落後、織田信長に従い、のち豊臣秀吉に仕えた。文禄3年(1594)10月、摂津国豊嶋郡の内1400石の地を宛行われ、同4年9月にまた摂津国兎原郡内で360石余の加増があった。垂直の子が一重であり、実質上の麻田藩の初代である。一重は美濃国に生まれ、初め今川氏直に仕えて功あり、氏直没後、一時遠江国掛川に退いたが、元亀元年(1570)、徳川家康に仕えて戦功をあげた。同3年冬の三方ヶ原の敗戦によって家康のもとを去り、丹羽長秀に仕え、長秀の死後、豊臣秀吉に従った。天正13年(1585)、豊嶋郡内に采地を受け、また伊予・備中の加増があり、1万石余を領した。秀吉の没後は秀頼に仕え、大坂七手組の頭となった。慶長19年(1614)の大坂冬の陣には大坂方に与し、翌元和元年(1615)1月、大坂方の和議礼謝の使として駿府に下向したが、帰路拘禁された。この後、大坂の落城を聞いて剃髪、幽居されることを望んだが、家康に再任することになり、同7月、父重直の采地1万2000石余を領し、豊嶋郡麻田に住んだ。


方丈


石龕(せきがん)2基   慧林禅師舎利埋葬石龕・隠元禅師舎利埋葬石龕
     平成2年11月22日 壽塔改修により発掘


麻田藩主 青木家累代の墓 池田市史跡名勝天然記念物(史跡第4号)
麻田藩主累代の墓は、無縫塔(むほうとう・基礎竿・中台・請花・投身の5部からなる)といわれるものである。これは鎌倉時代前期に禅寺とともに中国から入ってきたもので、禅宗開山及び歴代の塔として用いられたが、市内ではこの墓は珍しい。 黄檗宗麻耶山仏日寺は麻田藩主の菩提寺で、寛永5年(1628)から安政5年(1858)まで、初代青木一重をはじめとする歴代藩主らの墓16基が現存しており、この景観は壮観である。  昭和53年10月31日  池田市教育委員会



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