仏眼寺(ぶつげんじ) 同村にあり。禅宗曹洞。宝珠寺の奥院と称す。鎮守、熊野三所権現・三宝荒神・道丁権現を祀る。
本尊弥陀仏 当寺は年久しく荒廃しけるを、近年宝暦年中浪花の規矩氏超倫居士(ちょうりんこじ)といふ人、官慶和尚を請して再興に及ぶ。後山仏念山を改めて能井山と号けて寺の山号とせり。禅堂の本尊に千手大悲の像を安じ、胸中に南都招提寺伝来の仏舎利を授かりて、ここに籠むる。その外仏殿・開山堂・回廊・方丈・衆寮・知客寮・浴室・庫裏等甍をならべて巍々然たり。開山には官慶和尚の本師黙子和尚とし、頑極官慶和尚を第二世とす。



佛眼寺(ぶつげんじ) 豊中市熊野町4-8-1
仏眼上人が開かれた寺の跡地に、大阪の浄春寺頑極宮慶禅師が宝暦10年に禅寺を建立し、名を「熊耳山仏眼寺」とした。
弟子の玄透禅師が仏眼寺6世となった折、曹洞宗の開祖道元禅師の著書「正法眼蔵」の出版を志し、永平寺57世住職となった時に完成させた。


本堂


鐘楼  阪神・淡路大震災で倒壊したため、防犯を兼ねて面格子耐力壁で1998年に再建されました。
 梵鐘 有形文化財
仏眼寺鐘楼堂の梵鐘は、天明6年(1786)に鋳造されたものです。
施主は仏眼寺の事実上の開基となる規矩超倫(きくちょうりん・大坂近江町の両替商長浜屋冶右衛門)、
願主は誌銘者にある仏眼寺住持玄透即中(げんとうそくちゅう)です。
梵鐘の龍頭は日本式ですが、区画や裾部の形式は中国式とあっています。
その様式は大乗寺蔵「支那禅刹図式」を模したものと考えられ、国内で確認される数少ない形態の梵鐘です。



中興二世頑極慶大和尚・開山黙大和尚・聯芳塔


開基真光院忠譽順和居士之墓  先考真光院原墓之碑  明和9年11月9日 規矩超倫謹識
HOME > 巻之六 豊島郡
inserted by FC2 system