この祠は、阪急宝塚線北側の側道に面してあったもので(池田市城南2丁目)、地元の人々によって大切に守られてきました。 この祠には「春日太明神」と書かれた石柱が収められており、「(荒木)村重の塚」とする伝承があります。村重(1535〜86)は、摂津の国人池田氏のもとから身をおこし、有岡城(伊丹市)を本拠とする摂津の大名になりました。しかし、織田信長と敵対する石山本願寺や毛利氏と通じたため、信長の攻撃を受け、毛利氏をたよって落ち延びました。 江戸時代の池田村絵図に、このあたりに「荒木氏」という小さな塚が描かれています。いつごろこのような伝承が生まれたかは明らかではありませんが、池田がもつ豊かな文化性を象徴する資料として重要です。 |
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