多太神社(ただのじんじや) 多田荘平野村にあり。『延喜式』に出づ。近隣四ヶ村の生土神とす。例祭九月二十九日。
京師平野明神の勧請なり。満仲公社殿を修補したまふ。
また今多田と書き改めしは九頭大蛇亡びて後、さしも上古より涸るる事なかりし池水たちまち丘となりければ、ここに城を築きたまひ、池永四方へ流れ散りて、多く山田の助となりけるゆゑ、多太を改めて多田荘とぞ習きたりける。







多太神社(たぶとじんじゃ) 川西市平野2-20-21
所在地が平野であることから平野明神とも称せられ、多田満仲が京都の平野神社から勧請したとの伝えをもつ。
多田院の艮(東北)にあたるため、多田源氏の守護神として崇敬された。


拝殿


本殿 祭神:伊弉諾尊・伊弉冊尊・日本武尊・仁徳天皇  
元禄6年(1693)造立。


稲荷社








多太神社社号標石1基(法量)総高151.5cm
多太神社江戸時代につくられた地誌のうちもっとも高く評価されている「五畿内志」の著者並河誠所は、摂津国内の延喜式所載の古社中当時その由緒が誤り伝えられたり、また廃社となっている20社について精確な考証をおこないそれぞれの由緒の湮滅をふせぐため元文元年(1736)各社々頭に社号標石を建立した。
この標石はその1つで、方24.0cm、高91.0cmを測り、正面に多太社の3字を、右側面に平野村の3字を刻している。
この文字は、誠所自らの執筆と思われる。
台石は2段からなり下段は方26.0cm高28.0cm、上段は方43.5cm高26.0cmを測り、上段裏面に「菅 広房建」と刻してある。  

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