沙羅林山(しやらりんさん) 東多田村の上方にあり。山嶺より水晶を産す。
昔村上天皇御宇天徳二年、満仲公伽藍を造営ありて、沙羅林山石峰寺と号し、本尊薬師仏を安ず。
その後文永の頃兵火の為に諸堂回禄の災に及ぶ。その時寺僧この本尊を石函に蔵め山中に埋む。
それより星露累りてこれをしるものなし。
慶長元年の春、沙羅林山に夜々光あり。これを怪しみその光源を穿ちしかは一つの石函を得たり。
蓋に沙羅林山石峰寺薬師如来の銘あり。ゆゑに一宇を営みて安置す。
同八年に庵主宗玄といふ者に夢の告あり。郡近き所に寺を遷したばあまねく人民を化益せんと宣ふ。
宗玄仏告に任せてみづから背に負ふて都に立り、五条わたり因幡堂にしばらく安置し、程なく六条坊門五粂橋の東若宮八橘宮の社内、小堂を営みて石峯寺と号す。
宝永の頃黄檗山千呆和尚常にここに詣でて薬師仏尊信ありて日く、われすでに異国より日本へ渡り、黄檗山の祖席に司職する事ひとへにこの霊尊の応験なりとて、膽礼恭敬せられければ、たちまち公命によつて山城国大和大路稲荷の南に寺地を賜り、百丈山石峯寺と号し、この尊容を遷し、沙羅林山の古迹を京師に止む。
ことに近年石像の五百羅漢を鐫し山間に安置し、巍々たる浄刹と成つて昔の相を顕はせり。
委しきは『都名所図会』に見えたり。




舎羅林山(しゃりんざん)

石峰寺 (せきほうじ) 京都市伏見区深草石峰寺山町26
黄檗宗 百丈山
宝永年間(1704-11)黄檗6世千呆性o(せんかんせいあん)禅師により創建された禅道場。

総門

本堂 本尊:薬師如来
昭和54年(1979)焼失し、昭和60年(1985)再建。
平安中期の沙羅連山石峰寺(摂津国多田郷)が焼失し、慶長元年(1596)に土中から掘り起こされた薬師如来像が五条橋東に祀られていたのを千呆和尚がこの地に移したという。

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