蓬莱山清澄寺(ほうらいいさんせいちようじ) 米谷村の山中にあり。中山寺奥院より十町ばかり西南なり。阪路嶮し。古義真言宗。
本尊大日如来 弘法大師の作。上古は東の山上にありて伽藍壮麗、僧舎七十二坊。今旧地に古礎多く遺れり。
荒神社 上段の地にあり。益信僧正の作。長二尺。阿須波明神ともまた清荒神とも称す。
加持水 本堂の後にあり。益信上人感得の霊泉なり。
影向榊 本堂の前にあり。三宝荒神この木に影向したまふ。
糸桜 庭前にあり。垂糸長くして花の盛には幽艶たり。
それこの山は梵園寂寞たる霊場なり。むかし寛平五年の春、宇多天皇皇后とともに同夢を見たまふ。
聖僧三輩来つて奏して日く、摂州に蓬莱山といふ霊岳あり。われらはこれ釈迦・弥陀・弥勒の三仏なり。浄刹を建てて安置したまはば、天下清平人民豊饒ならんとて曼陀華の香木を献りて夢覚めにけり。竜顔大いに歓喜有つてその地に精藍を創し、すなはちその霊木をもって仏工定円法眼に命じて三尊を造らしめこれを本尊とし、僧正静観・僧正益信の二僧を延いて開祖とし、台密の法を修し国家安泰を祷らしめたまふ。その剋三宝荒神堂前の樹に影向し、仏道守護の鎮守とならんと示現す。ここにおいて西谷七嶺七渓の勝地に勧請し、修法厳密なりしかば異香芬々として霊威新たなり。これを清荒神と崇め奉るたり。
中興慈心房尊恵上人は基叡嶽の学徒にして、多年法華の持者なり。ここに止錫してすめり。高倉院承安二年十二月二十二日閻羅王法華十万部融通本願会を修し、尊恵上人を請じて慶讃導師となす。その時閻王手書金字の妙経これを嚫して日く、大日本国三十七所の浄刹あり。清澄寺その一院なりと告ぐる。この経今に当山の什宝とす。
古は東の山嶺にして伽藍厳重たり。寿永二年源平の寇火に罹りて諸堂灰燼となる。その後将軍右大将頼朝公、尊像の霊験を聞きて、上に奏し勅を歩けてまたこれを重興す。ここにおいて山川色を増し昔に復る。またその後大空上人ここに来たり止住し、苦修精進して利済を勤むる事すべて二十年、あるいは玉支提を建てて竜華三会を期す。それより鎮守荒神の霊応著しくして、万善融通の人民を擁護したまふにより、陰晴を云はず詣人間断なし。
当寺方丈の庭中真砂にして、滝の糸巌を濯ひ花木は四時たえずして也山の景地を畳て風色斜ならず。



清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ) 宝塚市米谷字清シ1




護牛神堂 本尊:牛頭天王 弘法大師・不動明王


拝殿 三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩


浴油堂(よくゆどう) 三宝荒神・歓喜天尊の合行如法浴油供の秘法を行なう。


護法堂


荒神影向の榊


鐘楼 太鼓堂


眼神祠  龍王堂 本尊:善女龍王


火箸納所


行者洞 役行者(神変大菩薩)


宝稲荷社


本堂 本尊:大日如来


練行堂

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