栖賢寺(せいけんじ) 尼崎寺町にあり。禅院十刹のその一なり。秀吉公、山崎合戦の時、勝利ありて、諸侯を饗したまふ所なり。
腰掛松 当寺にあり。秀吉公、この松に腰をかけられて、山崎合戦の軍令を定めたまふ古跡なり






栖賢寺(せいけんじ) 京都市左京区上高野水車町22
『尼崎志』には康永年間(1342〜1345)竺堂開基、のち兵火に衰退するが廣徳寺とともに笑嶺宗訴中興とある。また、栖賢寺は本寺大徳寺と同じく赤松氏の建立になるものとしている。
中世には大物町にあったが、近世になって尼崎城築城にともない元和年間(1615年〜1624年)に寺町に移転。近代になり無住となり荒廃。
昭和7年(1932年)に兵庫県尼崎市寺町から京都市左京区の現在地に移転再建された。

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