浄土宗知恩院の末寺で、文治年間(1185〜90)に創建され、宗祖法然上人による開基と伝えられています。 法然聖人遺蹟として地域の信仰を集めるとともに、川辺西国21番札所となっています。 本尊は鎌倉時代の阿弥陀如来立像でしたが、先年惜しくも焼失し、昭和59年、阿弥陀如来座像及び観音・勢至両菩薩像を新たに刻みました。 なお奇跡的に焼失を免れた秘仏法然上人立像(高さ39cm、鎌倉時代)が祀られています。 元は彩色されていたかと思われますが、現在は全体が黒くなっています。 寺伝によれば、建永2年(1207)上人が土佐へ配流される途中の神埼での法話を聞いて、その罪業を恥し、神崎川に見を投じたという5人の遊女の霊を弔うため、神崎ゆりあげ橋の橋杭を材にして自刻したと言われています。 当時の神崎遊女に関する旧記などについての記録類、古文書などは散逸し、現在は残っていません。 尼崎市教育委員会 |
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