木接太夫旧屋(きつぎたいふのきゆうおく) 同村にあり。この者諸本を接木する妙術を得たり。
豊太閻大坂城にめされて樹木を接がしめたまふに、竹本一枝に交へて接ぐといへども枝葉栄えずといふ事なし。
秀吉公これを感じ木接大夫と呼はしむ。今に至ってもその術を伝へて接木を多くし、諸国へ賈ふもの数多あり。





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木接太夫彰徳碑(きつぎだゆうしょうとくひ) 宝塚市山本東1
術之至妙 竹以接木 芳名與花 千歳維馥
大正元年十一月 建之 浪華 南岳藤澤恒撰 梧窗湯川亨書
「木接太夫彰徳碑」は、16世紀の末に坂上善太夫(範泰)という人が接木の方法を発明するなど植木技術にすぐれていたところから、豊臣秀吉がその功績をたたえ「木接太夫」の称号を贈ったとされ、それを検証するために建てられたものであり、山本を中心としたこの地が、植木の日本三大産地の1つであるだけに目を引くものである。
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