貴布禰神祠(きぶねのやしろ) 尼崎西町にあり。この地の生土神とす。例祭六月三十日。
祭神 罔象女神(みつはめのかみ)・御祖神(みおやのかみ)・別雷神(わけいかづりのかみ)の三座を祀る。
旧地は長洲にして、元正帝の御宇勧請あり。京師貴船に相同じ。末社十二前を祭る。



西本町貴布禰神社(にしほんまち きぶねじんじゃ) 尼崎市西本町6-246
「尼のきふねさん」で親しまれる。山城国の貴船神社に「反正帝の頃、尊い神様が瀬戸内海から、尼崎に上陸され、京都の貴布川の川上に鎮まられた」という伝承があり、当社の旧地長州がこれにあたると考えられる。
古くから雨乞いの神とされ、雨乞い神事が行われた。江戸時代に現在地に移され、尼崎城主の崇敬篤く、代々祈願所を務めたが、天正8年竣成の社殿は昭和20年戦災で焼失。 
大鳥居は阪神・淡路大震災で倒壊し、平成8年12月に鋼板製で再建。


南門


二の鳥居

狛犬


拝殿 昭和25年復興。


祭神:高龗神(たかおかみのかみ)・賀茂別雷神・賀茂御祖神







榎社


北鳥居 享保2年   注連柱 大正12年2月吉日建之














愛敬三社 
可愛霊神(うまい)・可美霊神(え)・善哉霊神(えなにえ)
市庭戎神社 
蛭子神 大正4年市庭町より遷座。
白龍大神



白波稲荷神社

  御復興之碑
貴布禰神社は応神天皇の御代当地海人部の氏の守護神として長洲の地に奉斉された由緒と伝統をもつ古大社であり御祭神は高龗神賀茂別雷神賀茂御祖神の三柱である尼崎築城の頃城うち三の丸に鎮斉され尼崎藩の御祈願所となり尼崎の総氏神として市民の尊崇を受けたその後城改築に際し城外に奉遷正徳5年現在地に御鎮座された文政8年再建の壮麗な社殿は昭和20年6月15日大東亜戦争の戦火に罹り境内諸建物と共に悉く焼失した実に痛恨の極であった戦い止んでかかる名社の衰微せんことを憂い御復興の興望彭湃して起り昭和22年より貴布禰神社復興奉賛会貴布禰講貴布禰敬神婦人会の結成を見その資金をゐ自己崇敬者会社工場よりの寄進に仰ぐことに決し諸計画を立て復興にのりだした昭和23年5月26日地鎮祭執行同10月31日本殿遷座祭を斉行昭和25年7月拝殿社務所竣工昭和33年渡御復活昭和34年10月貴布禰開館結構式場新築昭和38年6月国道開通に伴う境内整備大鳥居建立等ここに御復興事業尽く完成したこれは偏に神社役員諸子の絶大なる協力ひたむきな努力の結晶に外ならず時恰も鎮座250年明治100年の紀念すべき年にあたり復興事業御京さん諸子に感謝の意を表し併せて役員諸子の労苦を忍ぶためその姓名を刻み茲に顕彰由来の碑を建立する    昭和43年12月吉祥


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