伊佐具神社(いさぐのじんじゃ)上坂部村にあり。『延喜式』に出づ。今、稲荷明神と称す。森村とともに生土神とす。



伊佐具神社(いさぐじんじゃ) 尼崎市上坂部3-25-18
当社は市内で唯一の式内社の格式をもち、祭神は伊狭城入彦皇子(いさぎいりひこのみこ)といわれています。
上坂部・下坂部は大彦命の子孫である坂合部連が住んでいた土地ともいわれ、久々知の名も命の子孫久々智から名付けられたようです。
当社は朝廷より神酒を賜わる例になっていたといわれ、また神酒を上坂部で醸造したため、酒部といったともいわれています。
さらに一説では、神崎の地名が当神社の前という意味の神前から起こったと伝えられています。     尼崎市教育委員会
注連柱 平成5年10月吉日 鳥居と隣り合わせに建っています。


鳥居 平成13年3月吉日建之

狛犬 平成5年10月吉日

拝殿
拝殿

本殿
本殿 祭神:五十狭城入彦尊・他二柱不詳 配祀:宮八幡宮・金刀比羅神社・愛宕神社・天満宮

社号標石「伊佐具社」  享保年間建立

旧狛犬 文化12年4月

稲荷
白龍稲荷神社(福円山浄徳寺跡) 
五輪塔 
元弘の変(1333)の良き、後醍醐天皇のた
めに奮戦した赤松円心のゆかりのところで、
円心の墓と伝えられてきた

小墾田宮跡碑 
孝徳天皇が長柄豊崎に遷都されたとき、舟運によりて神前浜に御上陸、風光を賞で給い、此の地に行在所・小墾田宮を営み給う。その状を知る碑境内にあり。
玉葉雑二 善信法師 
   おはたゝ゛の板だの橋のと絶えしを ふみなおしてもわたる君かな  源実速

西鳥居

西鳥居 大正2年3月

観音堂
観音堂 伊佐具神社 西隣 「このお社の御本尊はもと伊佐具神社境内の稲荷社に奉祀されたいましたが、
明治の神仏分離令によりこの地に移転されました。
神呪寺に属する福円心浄徳寺と称し、霊験あらたかな観音様で信仰心の篤い人達により維持されています。」
                                                 御由緒(平成18年9月)より
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