『後拾』 | ありま山ゐなのささ原風吹けはいでそよ人を忘れやはする | 大弐三位 |
『続拾』 | しなが鳥ゐなのささやのかり枕みじかき夜半もふしうかりけり | 前大納言資季 |
『新拾』 | みわたせばまじる薄も霜かれてみどりすくなきゐなのささ原 | 土御門院 |
『新統古』 | ありま山蜂ゆく雲に風さえてあられ落ちくるゐなのささ原 | 法印定為 |
猪名の篠原旧蹟 万葉の時代からこの地一帯は猪名野と呼ばれ、笹の原野が拡がり、風にそよぐ笹原の風情は古くから旅人の詩情をかもしていたとみえ、数多くの古歌が残されています。 その後、荒涼とした笹の原野が次第に開拓されていく中で、一画の笹原が残され、人びとに猪名の笹原の旧蹟として伝えられてきたようで、正保2年(1615)頃の摂津国絵図の中にこの地が「いなの小笹」と記され、寛政10年(1798)頃の攝津名所図会には「猪名笹原」とあります。 今この庭にある笹は、学名ネザサと呼ばれ、植物学者室井 綽氏の御説により往時の笹を偲ぶよすがとして弊社が植付けたものです。 左側に植えられた笹は学名オカメザサと呼ばれるものです。有馬山の歌の笹をオカメザサとする学者もおられますので、御参考のため、併せて植えることにいたしました。 ところで当地には明治24年から大正8年まで、緯糸に稲わら繊維を用い経糸に綿糸を用いた平敷織物である由多加織の工場がありましたが、現在ではこれを継承進展した東洋リノリューム株式会社が操業いたしております。 敷地の中には猪名の笹原に祭られていたお社を継承したといわれる笹原稲荷や(黄)金塚があり、弊社によって保存されています。 平成元年12月1日、創業70週年記念日 造園 東洋リノリューム株式会社 |
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