伽藍配置は「法隆寺式」で、塔と金堂は東西に並び、これを中門からでる回廊が囲み、講堂がその北側に配されています。 塔心礎は円形凹状柱座をくりこみ、柱座とは別に同一石面上に舎利孔をもっています。また各基壇や周囲の階段は凝灰岩でつくられています。 出土した遺物の大半は瓦類で、白鳳時代〜室町時代にわたっています。特に白鳳時代の軒瓦は、「川原寺式」とよばれているものです。 寺域全体については未調査のため詳しいことはわかりませんが、阪神間では最もよく旧状をを残している廃寺跡です。 伽藍は天正6〜7年(1577〜)の荒木村重と織田信長の戦の際に焼失したものと思われます。 尼崎市教育委員会 |
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