本興寺(ほんこうじ) 尼崎寺町にあり。日蓮宗勝劣派。塔頭八院。本山とす。京師本能寺に相同じ。
開基日隆上人 姓は源氏、父は桃井の苗裔、清和帝の後胤なり。
十八歳にして山家し、初めは慶林坊日立と号し、後に、自ら改めて、日隆と書す。
本門八品の奥旨を興して、両本山を創し、末流の琉倍繁茂して、尽未来際に至るなり。





本興寺(ほんこうじ) 尼崎市開明町3-13 法華宗本門流 大本山
法華宗四大本山の一つで、応永27年(1420)日隆上人の開基した寺院。 日隆上人は尼崎巽浜の米屋二郎五郎宅を拠点として布教したのち、室町幕府の管領で摂津守護であった細川満元の帰依をうけ、若宮八幡宮の社地に本興寺を建立したと伝えられています。寺地は尼崎城築城の用地となり元和3年(1617)現在地に移転しました。 開山堂は室町時代の唐様建築物として、三光天子(日月星の神)・鬼子母神・三十番神等の法華経守護の諸神を祀る三光堂は桃山時代の建造物として国の重要文化財に指定されています。開山堂の日隆上人坐像は、生存中に堺の仏工浄伝に命じて作らせたと伝えられ、上人のおもかげをしのばせる写実的なものです。天文17年(1548)銘の棟札がある方丈(国指定重要文化財)は、客殿あるいは書院の形式に近く、麩は曽我紹興の山水図や、高平(大岡)春卜の群仙図・鳳凰図などによって飾られています。 寺宝として備中国青江の刀匠「相次」の銘の太刀(国指定重要文化財)があります。日蓮上人の守刀として所持されていたもので、常にこの太刀に数珠をかけていたことから「数珠丸」の号がつけられています。その他流水紋銅鐸・三光堂向唐門・鐘楼・古文書・海北友松筆押絵貼屏風・笠塔婆等が市指定文化財に指定されています。             尼崎市教育委員会


本堂 本尊:宗祖真筆三幅対本尊


祖師堂
愁訴日蓮大聖人の御尊増を奉安。
脇座に日登(3世)日与(6世)日諦(11世)日承(12世)日尭(13世)日逕(15世)日庸(18世)の木像を祀る。
文政5年(1822)に焼失したが嘉永6年(1852)83世に日量上人によって再建された。


三光堂 拝殿

三光堂向唐門(市指定文化財)三光堂 本殿(重要文化財) 三間社流造銅板葺
もと大物にあったものを元和6年(1620)現地に移したもので、俳壇は慶長2年(1597)豊臣秀吉、加藤清正再建である。
三光天子・鬼子母神・日本大小の神祗等の、法華経信徒守護の善神を祀る。


鐘楼(県指定文化財)


御霊水井戸
御開山日隆聖人が、応永27年(1420)開建の時に境内の乾の方角に井戸を掘り、大正5年まで市民の飲料に供された。


開山堂 (重要文化財) 
重要文化財の御開山日隆聖人尊像を奉安。文明元年(1469)の創建。


日隆聖人荼毘所塚                             
日隆聖人は寛正5年(1464)2月25日御歳80にしてご入滅、同29日荼毘に付された。
この塚は宮町の妙光寺境内に祀られていたもので、同寺が昭和38年に難波に移転したので譲り受けたもの。


御真骨堂


大方丈 (重要文化財)



三重宝塔


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