当神社は往古より著名な旧社にして、創立は遠く仁徳天皇の御宇と伝えられ、仁慈徳尊き天皇は当地に度々行幸され、当地の住民は天皇の御恩沢を蒙ること他よりも一層深い為、天皇の父帝である応神天皇を祭神として祭祀申し上げたと云われております。 そして、当八幡宮は仁徳天皇の行宮跡、即ち難波祝津宮跡地と伝えられ、昔より当地方の産土の神、又、無病息災厄除開運の神として尊崇されている神社であります。 |
創立年月日は不詳なれども、第15代応神天皇、第16代仁徳天皇の御代に度々行幸あらせられて 御歌を詠まれたる梅林、当祝津宮跡社。 天平年中に熊野大権現と称し、後に熊野神社と称す。 |
なにわの梅の所以を尋るに、第15代応神天皇の御時、なにわ津にこの花咲き四方に香ほり高し。 是聖代の嘉祥にして第16代仁徳天皇皇子なりし御時、自然とこの花瑞徳ましますと百済の王聞き為すなり。 難波津に咲くやこの花のことは是也。 此の花江南所無之記也し辨慶の執筆も此の梅也。すなわち江南所無之は、梅の名をいふ。 梅の傍に鶯宿水(梅の水とも)いふ井あり。 仁徳天皇の御字、落花に浄んで薫じて味ひかろく、しかも濁る事なし。 落花の頃、鶯井邊を去りやらず。依之鶯宿水の水の名あり。 御歌 難波津に 咲くやこの花 冬籠り 今を春べと 咲くやこの花 |
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