荒府池(あらふのいけ) 大鹿村に属す。周廻三百余畝。池の北は鴻池村なり。鴻は国府の訛なり。後世、国府を荒府と書きたるなり。一説に日く、この池荒蒔村に属す。府の字を蒔の字に書き謬れるなるべし。荒蒔、実は荒牧なり。 
名産蒪菜(じゅんさい) この池の名草なり。香、他に異なり。古歌に詠ず。
    『新拾』    川上やあらふの池のうき蒪うき事ありやくる人もなし    好忠
    『名寄』    白波のあらふの池のうき蒪引根によきて玉ぞこぼるる    家隆







瑞ヶ池(ずがいけ) 伊丹市瑞ケ丘5
瑞ヶ池は大鹿の池でかつて主ケ池といい、南に尼ヶ池、西に小池があった。
江戸時代になり、片桐主膳正貞隆と五味備前守豊直の時に東西に主膳池・備前池が造られた。
文禄年間(1592~96)から慶長19年(1614)にかけ、瑞ヶ池からの排水を利用して伊丹郷町が奥谷上池・下池を造ったという。




大鹿の地名由来として、坂上田村麻呂に関わる伝説がある。
大同2年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂が攝津の大物(尼崎)から上陸し、
この地の森で大きな鹿を射止め、子孫が移住してこの地を拓いたという。





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