尼崎城(あまがさきのじょう) 旧名大覚寺城といふ。
大永年中細川尹賢居城し、元亀年中荒木摂津守村重修補し、滅亡の後、池田信輝に属し、元和三年戸田氏鉄改築してここに拠れり。城下は大坂より三里にして、川辺郡の産物市店に出だして、交易の商人多し。南は船路、泉州・紀州に続きて、小船の泊によし。
西は播備に通りて、山陽道の喉口なるべし。





尼崎城址(あまがさきじょうあと) 尼崎市南城内116-11
尼崎城は、現在の北城内・南城うちの約300m四方の地域に築造され、三重の堀を持ち、現在の庄下川も西側の外堀として利用されていました。沖から見ると城全体が海に浮かんでいるかのように見え、美しく水に写る姿は「琴浦城」(ことうえあじょう)の名称で親しまれていました。本丸(現在の城内中学校付近)には高さ約18mの四層の天守閣が築かれていました。 この尼崎城は、元和4年(1618)から数年かけて、譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)によって築城されたものです。 現在地あたりは二の丸の前の内堀と中堀を結ぶ横堀や「四角堀」と呼ばれる内堀と外堀を結ぶ縦堀のあったところで、この付近に「伏見門」(ふしみもん)がありました。戦国時代までの中国街道が旧町役場を抜けて通っていました。     尼崎市教育委員会


尼崎市立明城小学校  尼崎市南城内10
学制発布と共に開校した「開明小学校」と「城内小学校」を統合して、平成16年4月1日、旧城内小学校の地に開校。
この天守閣の模型は、昔の写真をもとに木型を作り、コンクリートで固めたもので、昭和15年(1940)4月から7月まで1学期間かけて教職員と児童が一緒になって苦心して政策されたものです。   平成10年(1998)


尼崎城址公園 尼崎市北城内


 尼崎中央図書館に城壁が再現されています。


 
中世の尼崎城は本丸の北東に、本丸と二之丸に、櫓ばかりの五十間四方の堀があった天守閣のない城であったようです。
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