塚原古墳群は、 大阪平野を一望する阿武山の南・東斜面一 帯に営まれた古填時代後期の群集填です。 かつて古墳は百数十墓を数え、 地元では 「坂原八十塚」 として親しまれてきました。 いまでも約40墓が保存され、そのほとんどが横穴式石室を有する直径7〜18mの円墳です。 6世紀中頃から7世紀中頃に造られました。 古墳は2〜4基ごとにかたまって営まれており、家族ごとに墓域が決められていたのでしよう。葬られた人々は、安威川流域にあった村々の有力者眉と考えられています。 外観はどの古填も変わりませんが、発掘調査によって石室の構造や内容に違いがあることや、墳丘に埴輪を並べた古墳もあったことがわかつています。よくに副葬品は、日常使う土師器・須恵器のほかに、豪華な馬具や装身具、 鉄刀・鉄鏃といった武器などがあり、葬られた人物の身分や職業を知る手がかりとなつています。 塚原古填群は明恰5年(1872)に大阪造幣局の技師として来日した英国人ウイリアム・ゴーランドによつて広く世界に紹介された古墳群でもあり、考古学史上においても記念すべき歴史遺産です。 平成20年3月 高棚市教育委員会 |
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