鳥飼御牧(とりがひのみまき)(淀川の中馬島は御牧の古跡なり。長さ一里ばかり、いにしへより洪水にも崩流せず。
また鳥飼に亭子院(ていじいん)の旧跡あり。遊女白女の和歌を読みし所なり)
『延喜式』日く、
すべて讃節および行幸、応に国銅の御馬を用うべき者は須む数を勘量して奏分聞し、すなはち官符を下して進めしむ。唯牧の放飼の馬は、寮当国に移し、すなはち牧子をして牽き送らしむ(ただし、摂津国鳥飼牧・豊島牧当国に移さず。寮より直に放ち繋ぐ)。
すべて国飼の御馬は摂津国二十疋(右寮、また同式に日く、左寮、摂津国鳥飼牧)。
『土佐日記』云ふ、
二月八日なほ川のほりになつみて鳥養の御牧といふほとりにとどまる云々。




鳥養牧跡(とりがいまきあと) 摂津市鳥飼下3-26
『延喜式』(927)に牧は3種に分け、皇室の料馬を供給する御牧(勅旨牧)、兵馬・用役牛の飼育を目的とする諸国牧(官牧)、および都の周辺に設けた近都牧である。
鳥養牧は6牧あった近都牧の1つで、諸国から運ばれた牛馬を飼育して都に送った。


離宮「鳥養院」跡 摂津市鳥飼上4-5
あさみどりかひある春にあひぬれば かすみならねどたちのぼりけり
大江玉淵の娘の歌”鳥養”「大和物語」  平成6年3月 摂津市
此附近鳥養院址  
昭和3年3月 大阪府

『曽我物語』卷第1に惟喬(これたか)親王と中将在原業平が懐旧談にふける条で「今昔の事ども申うけたまはるにつけても、御衣の御袂、しぼりもあへさせたまはず、鳥養の院の御遊幸・・・」とある。
また『大和物語』では宇多天皇がしばしばここに訪れたとある。

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