玉江(たまえ) 三島江の一名なり。また東生郡小橋村に玉江の旧跡あり。これは仁徳帝の御宇菖蒲を奉りし地なり。
今田畠と成り、和歌によってこれをわかつ。
『千載』 |
みごもりに芦の若葉やもえぬらん玉江の沼をあざる春駒 |
清 輔 |
『金葉』 |
五月雨に玉江の水やまさるらん芦の下葉のかくれ行くかな |
源道時 |
『新古』 |
夏苅りの芦のかりねも哀れなり玉江の月の明がたの空 |
俊 成 |
『新続古』 |
月影もやどり定めぬ白露の玉江の芦に浦風ぞ吹く |
称名院入道内大臣 |
『夫木』 |
契りをや玉江の水にむすぶらん帰らぬ雁の声きこゆなり |
後鳥羽院御製 |
家 集 |
いざやその蛍の数はしらねども玉江の芦の見えぬ斐ぞなき |
頼 政 |
それ、この三島江は前に淀川の流れを帯びて、難波より京師に通ふ船夜となく昼となく櫓拍子に歌諷ひて、さし下すあり登るあり、引舟の網長く、あるは綱短く、鉄車をかよふ音涼しく、ひきつれる水主の足並柳にもつれ芦間の螢飛びかふけしき、時烏の一声に月清みわたり、流水溶々として河風凛々たるに、舟より船にこ酒沽る声驚忽として人々睡を覚ます頃、初雁のかりかりに千鳥なく霜寒き夜、みなこの三島江の風流にしていづれか和歌の種ならぬはなし。