宿河原(しゅくかはら) 宿久荘にあり。『延喜式』『和名類聚』等に出づ。元亀年中羽柴筑前守秀吉公の御陣所なり。
宿河原は川辺・武庫・八田郡にもあり。
『つれづれ草』云ふ、
宿河原といふ所にて、ぼろぼろおほくあつまりて、九品の念仏を申しけるに、より入りくるぼろぼろの、もしこの中にいろをし坊と申すぼろやおはしますやと尋ねければ、その中よりいろをしここに侯、かくのたまふはたそと答ふれば、しら梵字と申す者なり。おのれが師なにがしと申す人東国にていろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかは、その人にあひ奉りて恨み申さばやと思ひて尋ね申すなりといふ。いろをしゆゆしくも尋ねをはしたり。さる事侍りき。ここにて対面したてまつらば、道場をけがし侍るべし。前の川原へまゐりあはん。あなかしこわきさしたち、いづかたをも見つぎたまふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨に侍るべしといひ定めて、二人川原へ出であひて心行くばかりにつらぬきあひて、ともに死にけり。ぼろぼろといふもの昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字などいひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て、我執ふかく、仏道をねがふに似て、闘諍をこととす。放逸無慙の有様なれども、死をかろくして少しもなづまざるかたのいさざよくおぼへて、人のかたりしままにかきつけ侍るなり、云々(このぼろぼろの塚は今に郡山村の竹林の中にあり。


ぼろ塚(ぼろつか)  茨木市南清水町1
徒然草第115段にぼろぼろ(虚無僧)奇談の話がある。1人のぼろの師が、いろをしというぼろに殺されたので、そのあだ討ちをしようと敵を捜していたところ、たまたまこの宿川でいろをしと会った。そこで2人が前の河原で戦うことになった。しかし、あだ討ちを繰り返していると、いつまでも続くことになるので、「2人が一緒に死ねばあだ討ちはここで終わる」ということで、「一方は喉を、他方は腹を、共に刺し貫いて死んでいった。」といわれている。

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