白井螢見(しらゐほたるみ) 郡村白井の水辺に初夏の末より螢多し。土人云ふ、天正年中、明智日向守光秀が一族戦死の鬼火なりといふ。また山州宇治の螢は源三位頼政の亡魂なりといふ。モれ螢は『礼記』にいへるごとく、腐草化して螢となる。
また『格物論』に曰く、螢はこれ腐草および爛竹の根の化する所なり。初め蟄虫(ちつちゅう)の時すでに光あり。数日にしてすなはも変じて能く飛ぶ。基陰湿の地に生ず。大暑の前後にあり。大火の気を得て光を発す。一名夜光。一名[火習]燿。車胤(しゃいん)は書を照らし、劉子南(りゅうしなん)は螢火丸(けいかがん)を佩びて矢を却く。戦死の亡魂といふは土俗の諺にして取るに足らず。
勿論頼政は文武兼備の人にして、殊には射術の妙手なり。また和歌の達人にして代々の勅撰にも多く撰ばれたまひ、家集ありて名歌あまた持ちたる逸人なり。治承の戦は平家盛の時なり。
頼朝・義経の蜂起は平家衰へんとの時なり。ここを以て武勇の著しきなしるペし。亡魂蛍にとどめしことは源三位をしらぬ者の口称なるペし。
HOME > 巻之五 島下郡 |