清水(しみづ) 本照寺の隣地、清水氏の家にあり。清冷にして寒暑に増減たし。
この家、酒匠を業とし、吉例として毎歳艚漬物を江府へ拝げ献る。累年怠る事なし。
すべてこの地に洒匠多し。世に富田酒とて名産とす。


 
寿酒造 高槻市富田町3-26-12  文政5年(1822)創業。

 
清鶴酒造 高槻市富田町6-5-3  安政3年(1856)創業。

富田の酒造りは阿武山山系の石灰質を通って湧き出る清水と、良質な酒米により名声を博した。
その中心に位置したのが、清水市郎右衛門(屋号・紅屋)だった。
江戸時代の俳人、芭蕉十哲の宝井其角(たからいきかく)は「けさたんと のめやあやめの とんたさけ」の句を詠む。
元禄14年(1701)刊行の『摂陽郡談』には「香味勝れて宜し」と記されている。
最盛期の明暦頃(1655〜58)には24軒の酒造家が軒を連ね、酒造石も1200石を越えた。
しかし、度重なる酒造制限令や伊丹・灘等の発展で生産量は減少し、幕末になると6〜8軒。
現在はこの2軒が伝統の製法を受け継いで、年間560kLを生産している。
また、その酒粕を使った富田漬けも古くから知られている。




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