佐井寺(さゐでら) 一名山田寺。佐井寺村にあり。古義真言宗。
本尊十一両観世音 僧正行基感得。赤栴檀長三尺七寸。
五衰殿塔 当寺にあり。三重石塔婆なり。御読経供養の堵なりとぞ。不詳)地蔵堂(同所にあり。むかしこの地に光明必然たり。これを穿ち見るに地蔵尊を得たり。すなはちここに安置す。出現の地を今地蔵塚とよぷ。
佐井清水 当寺に水乏しければ、行基菩薩これを祈りたまへば霊水滔々として今に涌出す。限疾を濯へば忽ち平癒して明らかなり。
行基山 当寺の西にあり。今愛宕といふ。小祠あり。本尊出現の霊地なり。遠近限下に見えわたりて、風景不斜。絶勝なり。
一本松 行基山にあり。また行基松ともいふ。古松にして比類の大樹なり。遠境より鮮かに見ゆる。
鎮守 八幡宮・春日明神・牛頭天皇を祭る。当村の生土神なり。例祭九月十七日。
天平七年二月十六日、僧正行基ここに至りたまへは、赫々たる瑞光あり。すなはちその地を掘らしめたまへば、栴檀香木の大悲の尊像を感得す。これ当時の本噂なり。速かにこの由を秦聞したまへば、詔を得て伽藍を草創し坊舎六十余院の梵刹と成り、禁裏御読経を執行したまふ、二十一ヶ寺のその一なり(『拾芥抄』に見えたり)。星霜累なりて天正の兵火に罹り、堂塔坊舎一時に焦土となりぬ。正保四年寺職の僧楽順、再興の志願空しからず。領主板倉周防侯撞鐘を寄附し、銘は京師東寺長老亮春これを書す。禁裏御読経の式は『三代実録』に見えたり。
『公事根源』云ふ、
季御読経は二月八日大般若経を首敷にて講ぜらる。四ヶ日の事にて第二の日には行茶とて僧に茶をたまふ事あり。天平元年四月八日にはじまる。貞観の頃ほひは毎李に行ほれけるとかや。

佐井寺
佐井寺(さい) 吹田市佐井寺1-17-10
碕井山 真言宗 天平7年(735)行基の開基。
西の山に瑞光を見て、土中より栴檀の十一面観音像を掘りだし、本尊として現在地に七堂伽藍を建て、山田寺と称した。

本堂
本堂 本尊:十一面観音

観音堂
観音堂

不動堂
不動堂 鎌倉初期建立

鐘楼
鐘楼  梵鐘は京都所司代板倉重宗(いたくらしげむね)が慶安2年(1649)に寄進。
正保4年(1647)に楽順が寺を中興と銘記されている。大阪府下で2番目に古いモノ。

HOME > 巻之五 島下郡
inserted by FC2 system