霊山寺(りょうせんじ) 霊山寺村の上にあり。真言宗。鶴株山と号す
木尊石像不動尊 宝亀九聖三月十六日開成皇子感得の尊容なり。長一尺八寸。開基開成皇子。いにしへは伽藍坊舎巍々たり。天正年中高山が兵火に灰燼となる。その時の守僧萱坊弘清やうやう本尊を負ひ奉つて丹波国に隠れ去る。世静まって後、ふたたび茅舎を営みて今のごとし。 零落荒廃に及ぶといへども霊尊の利生日々に新たにして、一言祈る時は意願充たすといふ事なし。ゆゑに今一言不動尊と称す。
石標 霊山寺村入口にあり。鐫りて日く、
一言不動尊鶴林山霊山寺。宝暦七年歳次丁丑秋九月、蘇州沈士竜、崎陽の旅館に謹書す。当山第十世、現住本瑞覚峯、十界助緑敬立。


霊山寺( りょうせんじ) 高槻市霊仙寺町1-11-1       石標 一言不動尊鶴林山霊山寺
高野山真言宗 鶴林山 宝亀9年(778)光仁天皇の皇子、開成(かいじょう)により開かれている。
桓武天皇が箕面・勝尾寺に行幸した際、女瀬川のほとりで、紫雲たなびく山を見、このことを皇子に伝えた。皇子が山に分け入ると、山内の滝のところで、自然石が不動明王に現じ、この地に寺を建立するように告げたといわれ、今に至るも本堂に祀られている本尊がそれであると伝わる。 開成皇子は桓武天皇の兄にあたる人で、同じ高槻にある神峯山寺、本山寺、安岡寺のほか、茨木の大門寺や箕面の勝尾寺の創建にも関わり、同時代に活躍した役行者の皇族版ともいえる人。
永禄12年(1569)の『室町幕府奉行人連署寺領安堵状』(霊山寺文書)には、寺領24町とある大きな寺院だったが、天正年間(1573〜92)高山右近の兵火に遭い、堂塔伽藍は焼失した。当時の住職弘清らが本尊などの仏像を死守、丹波地方に難を逃れ、慶長年間(1596〜1615)になり、当山の復興を成し遂げている。


本堂  本尊:不動明王 「一言不動」


薬師堂  薬師立像と12神将を安置。


時計堂 平成13年奉納 梵鐘代わりに御影石の時計がぶら下がっています

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