黄牛山霊松寺(おうぎょううざんれいしょうじ) 芥川村の北にあり。禅宗 曹洞
本尊正観音(行基の作。長一尺八寸)中興無月和尚。
寺記に云ふ、
当寺初めは僧正行基の開創にして地蔵院といふ。文和・延文の頃伽藍破壊に 逮ぶ。
後小松院御宇無月妙応禅師ここに来たり、古松に光明赫々たるを見る。その 光の根を原ぬるに金像の大悲長一寸五分一躯を得たり。すなはもこれを頭上 に籠め、本尊とし、霊松寺と改む。この時応永十九年に当たれり。
その後永禄元年正親町院の勅願所と成り、同二年八月二十四日綸旨を賜ふ。三好筑前 守義興(よしおき)・土岐山城守定吉大檀那となる。すなはちこれらの墳墓 当寺にあり。
年毎正・五・九月、天下安泰・宝祚延長の祈祷として大般若経 転読あるなり。
什宝(光明皇后御真筆の般若経半巻あり。兆殿司自画の十六羅漢、同じく観 音三十三身変相の画像あり。
その外古筆・名画多し。また天文年中軍令の下 知状等あり)黄牛松(当寺門前にあり。山号これより出づる。観音の像出現 ゆゑ、大悲松ともいふ)袈裟濯地(当寺にあり。行基菩薩ここにて常に袈裟 を洗ひたまふとなん)




霊松寺 (れいしょう)  高槻市天神町2-4-2
黄牛山 曹洞宗 行基機内49院の1つで、牛飼山地蔵院と称した。応永19年(1412)無月妙応禅師が老松の下から現れた黄金仏を 本尊の胎内に納め、堂宇を再興して霊松寺と改めた。戦国時代、正親町天皇の勅願所となる。また三好長慶父子が大旦那となる。転生年間に高山氏の兵火で焼失。鐘鋳・貞享年間に堂宇を再建。


山門


本堂  本尊:十一面観音


鐘楼

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