野身神社(のみのじんじゃ) 当城内にあり。延喜式内。今牛頭天皇と称す。この所の生土神とす。例祭九月十四日。
摂社八幡宮、八幡町にあり。
若宮、永井氏の祖神なり。
弁天杜、ともに城内にあり 



野見神社(のみじんじゃ) 高槻市野見町6-6
宇多天皇の時、疫病が流行り、神託により牛頭天王を祀ったところ、疫病が治まったので、社殿を造営したという。
高山右近が高槻城主のころ、社殿を破壊、社領を没収し、右近の父飛騨守が高槻天主教会堂建てた。この難を山城男山に避け、後再びここに奉祀し、元和5年松平紀伊守社殿を建営し、社領を寄附。慶安時代、永井氏城主となって修築した。
もと上宮天満宮付近にあった式内社・濃身神社が移ってきたものとみられる。明治の神仏分離のとき野見宿禰を合祀して野見神社と名を改めた。


拝殿 


本殿  祭神:素盞鳴尊(すさのお)・野見宿禰命(のみすくね)  
寛永21年城主松平若狭守の再建。大正3年(1914)山辻の春日神社(祭神:天児屋根命)を合祀。


神楽殿  


蛭子神社  祭神:蛭子大神(えびす) 昭和33年に街の賑わいを招こうと、西宮戎神社より分社。


護国神社


四社明神  祖霊社・磐神社・稲荷社・福神社


小島社  祭神:市杵島姫命(いちきしまひめ)・大己貴命(おほなむち)・磐長姫命(いわながひめ) もと粂治山付近瀧ヶ渕に棲む大蛇を龍神として祀り、元和年中松平紀伊守が本丸側、堀の内に社祠を建てて奉祀。明治41年、字厩曲輪の各社小島神社を移転合祀。


永井神社(ながい) 野見神社境内  俗に若宮という。
寛政5年(1794)8月9代藩主永井直進(なおのぶ)、城内牛頭天王社の内、もと若宮八幡の地に藩祖直清霊神を祀り祖霊社と崇めた。その後、嘉永元年(1848)11代永井直輝(なおてる)が直清の高槻城入城200年を記念して社殿を修復、新たに唐門と拝所を造立。


唐門  双扉に永井家家紋の鉄仙が浮き彫りされた四脚門。


拝殿


本殿  祭神:永井直清公(ながいなおきよ)


永井先公遺愛碑  高槻を居城とした永井氏の祖、日向守直清遺愛の碑。464字が刻まれている。
充文充武 維明維賢 遠而兪顯 遺愛在民 一片?石 光照千年
明治21年歳在戊子秋9月  浪花 藤沢 恒(南岳)謹識 水原 豊 書



八幡大神宮(はちまん) 高槻市八幡町2-9
上古五畿内に大洪水があり、応神天皇像と白羽の矢が流れ漂いこの地に鎮座したという。
元亀年中高山右近の放火により焼失。その後の、元和5年(1615)高槻城主松平紀伊守家信社領を寄附し、寛永15年高槻城主岡部美濃守により再興。


拝殿 祭神:応神天皇(おうじん)・天児屋根命(あまのこやね)・建御名方命(たけみなかた)


月読神社 祭神:月読神(つきよみ)


稲荷社 祭神:豊宇気大神(とようけ)


神木

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