溝橛神社(みぞくひのじんじゃ) 溝杭荘馬場村にあり。『延喜式』に出づ。目垣村・十一村・二階堂村等三村の生土神とす。
『日本紀』日く、
事代主神、三島溝碗耳神の女玉櫛媛に所生児(あれますあこ)を蹈鞴五十鈴媛命(たたらいすずひめのみこと)と号く。
これ国色之秀者(かほすぐれたるひと)なり。神武天皇これを悦びたまふ。
九月壬午の朔己巳、蹈鞴五十鈴媛命を納れて以て正妃と為たまふ。

溝咋上宮跡01
溝咋神社上宮跡(みぞくいじんじゃうえのみやあと) 茨木市学園町
上の宮の跡地に昭和40年、石碑が建てられました。

溝咋上宮跡04
明治の絵図  祭神:五十鈴媛命、溝咋耳命、天日方奇日方命。
明治42年の第2次合祀で、この歴史ある神社は下の宮(溝咋神社)に合祀され、地上から失われてしまった。

溝咋上宮跡05
平安時代末、室町時代、江戸時代と、各時代の上の宮の遺構跡が見つかった。

溝咋上宮跡03
明治18年の地図に上の宮が記載されている。安威川をはさんで溝咋神社と並立しているのが分かる。

溝咋上宮跡02
溝咋神社神系図


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