国見山(くにみやま) 福井村にあり。山頭に升って邁かに臨めば一州の風景瞭然として眺望あり。

 
国見峠緑地 茨木市山手台6

古城古戦場古墳古跡書上控(明治9年3月9日)
国見山  福井村ノ内北山是ナリ 方今峠山ト称ス  一ヶ所
北山ヲ国見山卜称スル事ハ 山頭ニ登リテ遥ニ四方ヲ一覧セバ 当国ハ勿論其余ニ 山城・大和・河内・和泉・紀伊・淡路ノ国々 山々瞭然トシテ眺望ス 依テ国見山ノ名起レリ 此山内ニハ丹波国へ通行ノ街道アリ 是ヲ国見峠ト云 摂津志ニ大岩村二在ト記セシハ誤ナリ

国見山の帰属については、福井村と大岩村の間で訴訟がありました。
文禄4年(1595)に「大岩村民ノ住メル土地、国見ト称スル所アリ。此地ニ因ミ国見山ト称スルモノナレバ、大岩村ノ所有ナリ」との訴訟に、福井村では古免状(国見山年貢支払証文)で対抗し、同年9月12日の石田三成外2名の奉行により前々から年貢を納めている藤井村の草刈場であると認定されました。
承応2年(1653)には大岩村住民が国見山に松樹を植えたため、福井村が訴訟を起こし、8月28日に勝訴しています。
享保2年(1717)には大岩村の住民が国見山に入り、新田畑の開墾、植林、墓所・鎮守社の建立を図り、また福井村から訴えられました。柴田林佐衛門以下3名による実地検分の結果、7月に「大岩村言語道断之仕形」と裁定されました。

 
国見山峠には近松門左衛門の「大経師昔暦」(だいきょうじむかしごよみ)の元となったおさん茂平の物語があります。


おさん茂平恋道中(おさんもへいこいどうちゅう)碑  茨木市山手台4 中央公園
 この地は昔、能勢妙見山参詣の善男善女で賑わった摂津より丹波に通ずる一筋の街道で国見峠から国見念仏橋を渡り千提寺を過ぎ、多留見峠を経て、妙見山に至る妙見海道であった。
 この街道に「おさん茂平」を思い出させる国見峠がある。大阪小町とうたわれた美人で京都の商家に嫁いだ「おさん」は、丹波から奉公人としてきた美男子の「茂平」にすっかり身も心もうばわれた。当時、貫通すれば引き廻し罪という重罪に問われた。これを逃れるために、この地まで逃げてきたが所詮かなわぬ恋であると二人は相いだき心中したという伝説の地である。             茨木市

HOME > 巻之五 島下郡
inserted by FC2 system