継体天皇陵(けいたいてんのうのみささぎ)太田村にあり。三島藍野陵と号す。三島は上古の荘号なり。藍野(あゐの)、への地名なり。中古は太田部と改む。今惣持寺の制札に見えたり。『延喜式』には島上郡とあり。
今島下郡に属す。陵の封境方六十間ばかり。周に堀あり。陸上に石棺の発きたる形の石四つあり。何れも大きさ五尺ばかり。元禄年中公命によって御政の節この石廃家に散在せしを取り聚めて元の地へ返し置きしとぞ。それより四方に牆を結ひまほし、不評乱入の御制札を立てらる。
土人池上陵といふ。また中塚五つ傍にあり。また小祠あり。牛頭天王・八幡宮を祭る
『日本紀』日く、
男大迹(をほあとめ)天皇は(継体天皇、更の名、彦太尊)誉田(こんた)天皇五世の孫、彦主人王(ひこあるじのおほきみ)の子なり。
母をば振媛(ふりひめ)と日す。振嬢は活目(はいくめの)天皇七世の孫なり。同帝五年冬十月、都を山背の箇城(つつき)に遷す。同帝十二年春三月丙辰の朔甲子に弟国(おとくに・山背乙訓)に遷す。同帝二十年秋九月丁酉の朔己西、都を磐余(いはわれ)の玉穂(大和田)に遷す。同帝二十五年春二月、天皇病甚し。丁未、天皇磐余玉穂宮(いはわれたまほのみや)に崩ず。時に年八十二。冬十二月丙中の朔庚子、藍野の陵に葬る。
『帝子伝』日く、
応神天皇−集総皇−大々迹王−私斐王−彦主人王−継体天皇(人皇二十七代。在位二十五年。
『延喜式』日く、
三島藍野の陸。磐余玉穂宮御字、継体天皇摂津国鳥上郡に在り。兆域東西三町南北三町、守戸天烟。すべて毎年十二月幣を諸陵および墓に奉る云々。すべて諸陵墓は毎年十二月十日官人を差し遣はし巡検せよ。よって当月朔日名を録し省に申し、その兆域、垣・溝、若し損壊有らば守戸をして修理せしめ、専ら当宮人巡って検校を加へよ云々。

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西国街道に面して、宮内庁の「繼體天皇 三嶋藍野陵」と記された高札が掲げられています。

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拝所までの参道は綺麗に整備されています。

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拝所

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太田茶臼山古墳(おおだちゃうすやまこふん) 茨木市太田3 茨木市教育委員会は継体天皇の御陵とは見ておらず、高槻市の今城塚古墳が継体天皇量であるとしています。

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継体天皇陵陪冢(ばいちょう)茨木市太田3 古墳の被葬者の従者や近親者を葬った小さい古墳で、陪冢を持つスタイルの古墳は三島地区でここだけ。2基の前方後円墳を含め8基あるという。 茶臼山古墳の東側、くすのき公園にあります。

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2つ目の陪冢は少し北の道路に挟まれ、島となって孤立している。

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茶臼山古墳の北西にあるさくら公園に2基並んでいる。

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二子山古墳01
二子山古墳 高槻市上土室6丁目
太田茶臼山古墳から名神高速を越えた東に位置し、宮内庁による継体天皇陵の陪冢となっています。

二子山古墳02
名前の通り、2つの墳丘が近接しています。

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