笠森稲荷祠(かさのもりいなりのやしろ) 真上村にあり。世人瘡神と称して土の団子を供じ、瘡毒を病むもの遠近よりここに来たつて祈願す。笠と瘡と訓を通す。
京師四条坊門の西に『延喜式』に出でたる隼(はやぶさ)神社あり。世人隼を謬って早瘡(はやくさ)と称し、また転じて瘡神(くさかみ)と呼ぶ。これにも土の団子を供じ小児および瘡疾に苦しむもの多く祈願す。それ神は信敬によって利生あり。一心の謹啓に頭をかたむけ再拝怠らずんばなどか感応空しからんや
笠と瘡まざらかしても利生あり雨露をもらきぬ神の恵みに   斑 竹




笠森神社(かさのもり) 高槻市西真上1-7-5
中世末期、旧芥河真上氏の本屋敷に中村氏が居宅を構え、 その屋敷を守る神として笠朝氏の祖である雅武彦命神 (わかたけひこ)、鴨別命(かものわけ)を祭った。文和年間(14世紀中期)在地領主・真上政阿の崇拝が篤かった。元禄14年(1701)宇賀御魂神を合祀。


白壁の築地塀に囲まれ、鳥居はない。かつては、欅の大樹があったという。


拝殿  祭神:宇賀御魂神(うがのみたま) 元禄14年改築。

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