根本山神峯山寺宝塔院(こんぽんざんかぶざんじほうとういん) 大沢村の上方にあり。天台宗。坊舎七区
本尊昆沙門天(役行者作。長五尺。脇士、左吉祥天女、右禅膩童子。また、大日如来・文殊尊・梵天帝釈尊を安ず。ともに行基の作)
開山堂(役行者を安ず)観音堂(和州長谷寺観音と同木同作なり)阿弥陀堂(二王門の外にあり。慈覚大師の作)光仁天皇塔(開成皇子の御父なり。天応元年十二月二十三日崩じたまふ。
皇子御着鎚のために十三層石浮図を建てられたり)鎮守(山王・稲荷・金比羅)役行者笈掛石(二王門の南にあり)二王石(二王門の傍にあり。高さ七尺余)二王門(金剛力土を安ず。額「根本山」。竹内良尚法親王筆)九頭滝(経蔵の東にあり)明王嶽(本堂より三町ばかり異にあり)什宝破五鈷(役行者の所持)
それこの寺は役行者の開創にして開成皇子の中興なり。文武帝元年日本高山の中(『拾芥抄』に日く、比叡山・比良嶽・伊吹山・愛宕山・金峯山・葛城・当山なり)神峯山の嶺に至り四方の幽渓を見たまへは、南方に渓水浙瀝として如来の梵響を伝ふ賢聖影向の霊区あり。今の九頭滝向松これなり。その滝の側より金毘羅童子出現して日く、豊葦原開闢よりこのかたこの山に住す。疾くここに梵宮をいとなみたまけば可ならんと告ぐる。行者すなはち明王嶽に至り、藍婆・毘藍婆の二鬼に霊木を授かり毘沙門の像を作り、岩上に安置したまふ。その時虚空より蔵王の三神紫雲の中より出現を拝し、胎蔵界の密法を行ひたまふ。このゆゑに行者阿吽の二石を立て置きたまふ。惣門の二王石これなり。その後開成皇子もここに来りて中興し、また橘輔元が難冶の重病も九頭滝に浴すればたちまち平愈す。すなはち出家し、大原山の良忍上人を師とし良恵と名乗り、融通念仏の行者と成り、阿字が谷に庵を結び、二十一年の間称名怠らず往生を遂げにけり。元久元年黒谷の源空上人当山に指し良恵上人の墳前に至り、専修念仏を高声に唱へたまへは、塚の中より正しく十念の声を継ぎしとぞ云ひ伝ふなるべし(巳上、寺記また『伽藍囲基記』の大意を取る。初め本山寺の縁起とほほ相似たり。いささか旨趣あり。別記にしるす)。


神峰山寺(かぶざんじ) 高槻市原3301-1
宝塔院根本山 天台宗 文武天皇即位元年に役行者によって建立。後奈良朝末期の宝亀5年に光仁天皇の皇子で桓武帝の連枝である開成皇子が住職となり、父光仁天皇の勅命によって七堂伽藍二十一坊を建立して中興開山。

 
鳥居                                      牛地蔵 京坂超えを行き来した荷役牛を供養する。


勧進掛(かんじょうがけ)  門柱の横木にしきみを結んだ縄をつなげたもので、堂島の米商人は縄の高低長短で毎月の米価を占ったという。




 
狛犬


仁王門

 
金剛力士 運慶作





本堂 本尊:毘沙門天(金毘羅童子作)・ 十一面観世音(得道作)




 白龍王社






開山堂


観音堂


鐘楼


十三重石塔 光仁天皇分骨塔と称する石塔


五重石塔 開成皇子埋髪塔


豊川稲荷


九頭龍滝




 宝塔院


 龍光院


 寂定院


 筆塚

 

HOME > 巻五 島上郡
inserted by FC2 system