上宮天神祠(じょうぐうてんじん) 上田辺村の上方にあり。この他の生土 神とす。例祭四月・九月五日。
社僧を春松院といふ。社頭は豊田秀頼公の再 建なり。社記に云ふ、勅して菅神に贈官有りてつくしより神輿上洛したまふ 時、野身郷高月の領主近藤連忠範が家にて一昼夜滞留まします。その古跡な ればここに祀るなりとぞ。按ずるにこの地野見の郷なれば菅公租先野見宿祢 を祭れるならん。 織田信長寺社を破却の時天満宮と改むるものにや。
またこの辺に車塚、ある いは装束塚といふあり。古の荒塚なるペし。
また春松院に石打炉あり。古代 の形にして名器なり。
野身神社(のみのじんじゃ) 当社坂口にあり。『延喜式』にこ出づる。




上宮天満宮(かみのみや) 高槻市天神町1-15-5
一の鳥居  手前に寛延3年の大灯籠と文久2年の狛犬が控えています。ここ天神の馬場は秀吉が山崎の合戦で本陣としたところ。日神山(ひるがみ山)に天満宮が造営され、京都北野社より古く、太宰府天満宮の次に建てられた古社とされる。


二の鳥居  当地を濃味郷(のみ)と呼び、野見一族の始祖・野見宿禰(のみのすくね)を祭っていた。正暦4年(993菅原道真に左大臣一位が追贈され、勅使として太宰府へ赴いた菅原幹正が帰路、当地に着いた時、神輿がうごかなくなったので、幹正は「是れ山上に祖廟あるによるらん」と、直ちに山上に社殿を造営したという。


割拝殿  天正6年高山氏に焼払われ、社領を没収されたが、明智勢を山崎天王山に討ち取った豊臣秀吉がその戦勝を感謝して社殿を再興した。拝殿は明暦2年に高槻城主の永井直清が寄進造営したもの。36歌仙絵額が左手に飾られています。


本殿  祭神:菅原道真(すがわらみちざね)・武日照命(たけひなてる)・野見宿禰(のみのすくね) 平成8年11月に焼失した拝殿を平成14年12月に再建。構造材と干木以外は全て竹で出来ている珍しい建物です。


野身神社(濃味神社) 祭神:野見宿禰(のみのすくね) 明治12年に天満宮本殿に合祀された。土師氏(はじ)の祖で、天応・延歴年間(781〜790)に菅原・大枝・秋篠などと氏姓を改め、菅原氏から道真が出ることになる。南北に並ぶ4古墳の中央、6世紀の円墳上に建てられた式内社。


皇大神宮遥拝社 祭神:天照大神(あまてらす)


春日社 祭神:天児屋根命(あまこやね)


厳島神社 祭神:市杵島媛命(いちきしまひめ)


四社  荒神社:火産霊神・奥津彦神・奥津媛神、稲荷社:保食神、金比羅社大物主命、日吉社:大山咋命


昼神車塚(ひるがみ) 高槻市天神町 上宮天満宮の参道を東西に分断する道路の右手(東側)。道路の上にあります。

>
6世紀の前方後円墳。全長60m、前方部幅40m、後円部径35m。府道を創る際、住民の強い要望で削り取るのではなく、トンネルを通すことになったといいます。

>
出土品の埴輪の複製が並んでいます。イノシシ、イヌ、狩人が行儀良く行進しているようです。


前方部の2段目テラスで猟犬を使うイノシシ狩りをあらわした狩猟埴輪群がみつかった。 犬型埴輪(6世紀中頃)・猪形埴輪(6世紀中頃)

HOME > 巻五 島上郡
inserted by FC2 system