慈雪山普門禅寺(じうんさんふもんぜんじ) 同郷三輪社に隣る。禅宗。原鎌倉建長寺の末寺なり。今京師妙心寺派竜安寺輪番所
仏殿釈迦仏(唐作。長三尺五寸。檐の額、「獅林」黄檗隠元筆)後水尾帝神牌ならびに正観音像(ともに方丈に安ず。建具の絵、真の山水、狩野安信筆。泊り鳥の図画世に名高し)
開基説巌(せつがん)和尚(本願は細川右京太夫晴元。永禄年中建営)毘抄門天像(食堂に安す。弘法大師の作。天正年中高山右近当国の神社仏閣を多く放火す。その時この毘沙門天雲中に一度忿怒の相をあらはしたまへば、たちまち魔風高山が陣中に吹き靡き、敵軍敗走する事蜘の子を散らすがごとし。ゆゑに当寺その急難の禍を免る。ここにおいて利生霊験今に著し。当山擁護の尊夫とす)


普門寺(ふもん) 高槻市富田町4-10-10
慈雲山(じうんざん) 臨済宗妙心寺派
明徳年間(14世紀末)説厳(せつがん)が創建。永禄年間(16世紀後半)には細川晴元や14代将軍足利義栄(よしひで)が滞在し、普門寺城とも呼ばれた。


山門  中国福州の隠元は明国の乱を避けて承応3年(1654)渡来し長崎の地にあったが、龍渓禅師が隠元の徳を慕い、朝廷に願い出て、明暦元年に当寺に迎え入れた。寛文元年(1661)に宇治に万福寺を開くまでの6年間留まっていた。方丈の廊に隠元禅師筆の「獅林」の額があるという。


庫裏と方丈 隠元が去ったあと、竜安寺の直寺となり、長らく無住で荒れていた。
昭和になり住職がつき、順次整備され、現在方丈の保存修理中。工期:平成20年2月18日〜12月15日
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