北山本山寺霊雲院(ほくざんほんざんじれいうんいん) 原村の上方にあり 。天台宗、安岡寺の南山に対す
本尊毘沙門天(役行者の作。長五尺三寸。脇士、左吉祥天女、右禅膩(ぜん じゅう)童子、ともに行基の作)
開山堂(本堂の東にあり。役行者を安ず。額「役僊窟」、叡嶽安楽院真教筆 )鎮守(稲荷・白山・蔵王を祭る)虎石(本堂の中にあり。臥虎の形にて大 きさ二尺ばかり、色薄黒し)五水滝(本堂の後五町ばかりにあり。高さ五丈 ばかり。飛泉環珠を投ずるがごとく、傍に石像の不動尊を安ず。むかし役行 者加持修行の時・滝水五色に見えけるより名とす。これを浴する時は諸疾眼 病を治す。毎歳春のはじめには天下安全の護摩修行ある)忍恵(にんえ)上 人の旧奄(方丈の南にあり。この奄より南方には浪花および西海の通船ほる かに見えて奇勝の風景なり)天狗岩(当山の絶頂にあり)赤小豆阪(当山の 西の麓をいふ)神峯寺嶽(当山より二十町ばかり北にあり。山州善峰寺の行 路なり。これより七城二大仏見ゆる。城摂の界なり。『都名所図会』にも著 はす)鐘銘(松花堂の筆なり)虹梁札(本山寺造営。慶長八年三月日。豊臣 秀頼卿御願所)北山の額(惣門に掲る。広沢筆)本山寺額(一箇は藤田友閑 筆。一箇は広沢筆)
それ当山は文武帝元年役小角和州葛城の峯に苦修練行したまふ時、はるか にこの峰に当たって五彩の瑞雲たなびきLを見たまひ、これを尋ねてここに至 りたまへば、山川の幽邃、千載の奇樹繁茂し、怪岩・霊石嵩く整えて、崑岡 の玉を列ねたるごときを見たまひ、これ神僊の勝地なりとてしばらく居をト めたまふ所に、たちまち山谷動揺して毘抄門天出現したまひ、すなはも大悲 の誓約を舒べたまひ、末代帰依の衆生にはすみやかに十種の福禄を与ふペし と宣ふ。行者歓喜してすなはもみづから尊容を刻み、当嶺に安置したまふ。 これ本邦三毘沙門のその一なり(山州鞍馬・和州信貴)。そののち開成皇子 御年四十二歳の時ひそかに宮中を出でたまひ弥勒寺の喜仲(ぜんちゅう)・ 善算(ぜんさん)を師として出家し、宝亀五年六月役行者の徳行を慕はせた まひ、当山の追跡を訪ねて堂舎を建立し、大般若経を一字一石に再写したま ひてここに蔵めたまふ。その蹟今に存せり。また精舎の後に瀑布あり。行者 ここに修法したまふ時滝水変じて五色となる。ゆゑにその名あり。諸疾をこ の滝に浴すれば治せずといふ事なし。大治年中この山の麓に橘輔元(たちば なのすけとも)といふ武士あり。父子癩を疾む。一七日この滝に浴すればす みやかに平愈せり。父子大いに歓び財産を喜捨して堂塔を修造し、つひに魚 山(山州大原)の良忍上人に投じて父子ともに出家し、名を良恵・忍恵と号 す。近衛帝詔を降して忍恵をもって当山十八世とし、良恵は境内に庵を結び て融通念仏の法脈を継いで、仏号の数をとるとて赤小豆をもってし、その残 りを奄の傍にちらしたまふ。その跡今に土の色赤し。人呼んで小豆阪といふ 。星霜つもりて天正の頃、高山右近が為に寇火し諸堂一時に灰燼となる。慶 長年中内大臣豊臣秀頼公御建営ましまし、その後また一位藤大夫人桂昌院殿 再建修補あらせられ、国家鎮護の浄刹とぞなりにける(己上寺説)。
什宝、蒲萄硯(硯面に蒲萄の彫物あり。長さ一尺一寸五分、巾七寸五分。初 めは足利東山殿所持)伺向雁石(盆石なり。石の形をもって名とす。高さ四 寸、横九寸)
この二品は天文の頃松永弾正弼久秀当郡東五百位に在城し、当山毘沙門天 を常に帰依し、霊夢を蒙り、武門の名誉をとれり。これによって庄園を寄附 し、この家宝の二器を率収せり。
伺向の雁石の銘に日く
摂州島上郡本山寺、奇石有り。往昔松永氏霜台、寄附する所の一盆石なり 。蕨形、鴻椎の沙頭に落つるに似たり。倦翼を斂めて睡る。これに困りて雁 石と名づく。現住厳鎮法印、予に就きて、これを記さんと請ふ。よりて一絶 を賦し、これに贈る。
云く、
一箇の堅頑、娯余り有り。恰も鴻雁平沙に在るがごとし。床頭相対、四 時好し。残喜春来、花に背かず。
紫阜野釈躍月子、これを書す 。
毘沙門天曼荼羅三幅対(開眼妙法院堯廷法親王。松平豊後侯資訓寄附)




本山寺(ほんざんじ) 高槻市原3298
北山霊雲院 天台宗 北山毘沙門天の名で知られる。文武天皇元年役小角が五色の雲がたなびくのを見て瑞兆を感じ、登山修法の上本尊を感得し自刻開眼して一宇を建立したのが起源。光仁天皇の皇子開成によって中興。良忍を師として父子共に出家し父を良恵、子を忍恵という。良恵は境内に結庵し融通念仏を弘め、忍恵は当寺十八代住持となった。のち松永善右衛門が本寺に祈願して出世し松永弾正久秀となり、報賽として多くの荘田を寄進。天正年中高山右近の兵火にかかった。豊臣秀吉、秀頼もまた崇敬し現本堂は秀頼の再建。

 行者衣掛の松

 宝篋印塔


勧進掛 (かんじょうがけ) 12月25日に架け替えられる。

 五重石塔

 三社権現


中の門  伏見桃山城より移築。

 
福塚                             開成皇子の一石一字経塔




本堂  本尊:毘沙門天王


開山堂

  諏訪明神

  寅石

  本堂うらはポンポン山に続く登山道の入口です。

  鐘楼

 庫裏

 
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