富山養寿院本照寺(ふざんようじゅいんほんしょうじ) 富田にあり。浄土真宗。西本願寺に属す
本尊阿弥陀仏(安阿弥の作。長二尺八寸)宗祖親鸞聖人影(真向等身の尊容と称す。左脇檀に安ず。また聖徳太子・七高僧・本山前住上人の影、右脇檀次第に安ず)
富寿栄松(ふすえのまつ)堂前にあり。黛色にして竜盤のごとく庭上に蓋覆せり。高さ十六間、東西二十一間、南北十五間あり)
むれ鶴の富寿栄の松葉枝たかくひろくしげれる幾千世の陰  冷泉為村卿
それ当寺の開基は本願寺存如(そんにょ)上人の常随、式部卿正信房なり。母は近州観音寺の城主佐々木承禎(じょうてい)の息右街門督義弼(かみよしただ)入道玄幽(げんゆう)の女なり。草創の時、存如上人より光照寺の号を賜ふ。そののち蓮如上人経回の時ここに止宿ありて、化益の消息ならびに霊夢感得の文を遺したまふ。本願寺十二代良如(りょうにょ)上人の連枝養寿院良教(りょうきょう)ここに寺職たまひ、本山御坊高槻御堂を附与せられ、光照寺を改めて本願寺の一字を蒙らしめ、本照寺と号す。近き年、冷泉為村卿当山寺務に熟緑あれば来駕したまひ、従来の持尊弥陀の像を納め三部経を書写したまひ、裏書には詠歌をことごとく記してこれを寄附し、その法筵をいとなみたまふ。そのとき堂前の古松干尺を綾で蒼々たるを見たまひ、富寿栄松と初めて称し、和歌を賜ふ。





本照寺(ほんしょうじ) 高槻市富田町4-4-27
富山 浄土真宗本願寺派
応永34年(1427)に本願寺第7世存如(ぞんよ)が富田光照寺を創建。
富田の岡に創建されたとも、天文元年(1532)の富田焼き討ち後、高槻から移ったとも云われる。


本堂
正保3年(1646)に第13世良如(りょうにょ)の弟円従(えんじゅう)が当寺に入った際、良如自ら「富田御坊」の印を与え、さらに本願寺の1字を与えて本照寺と改めた。寛政元年(1789)焼失し、同10年(1798)に再建。
本尊:阿弥陀如来


鐘楼


東門
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