花之井(はないのゐ) 別所村にあり。
清泉寒暑に涸れず。
傍に碑銘あり。
摩滅して見えず。
あるが日く、一名山下水といふとぞ。
古曾都入道の和歌によるか
『新古今』
山水をむすびてよみ侍る
足引の出下水に影みればまゆ白妙にわれ老いにけり 能因法師
花の井(はなのい) 高槻市古曽部
古くから名水の井戸として知られ、別名山下水ともいわれた。能因法師の歌にも詠まれている。
あし引の山下水に影みれば 眉しろたへに我老いにけり (新古今)
不老水(ふろうすい)
花の井で老いを知った能因法師が山麓に湧き出る清水に不老不死を願い、 好んで煎茶に用いたと伝承される井戸。「寒冽にして茶に適し、其の名遠近に喧傳して、普く茶客の知る所なり」 (『大阪府全誌』)
文塚(ふみづか)
嘉永2年(1848)山藤辰政が建立。能因法師が死期を前にして吟稿(和歌の原稿)を埋めたところ。
松林庵跡
能因塚の南方、松林に能因が隠棲していた住家があった。その後、庵跡には少林寺が建ち、昭和初期には西国街道から 北方にその松林が望めたという。
巻五 島上郡 |