後鳥羽院御廟(ごとばいんのみびょう) 水無瀬殿にあり。後鳥羽院遷幸の所にして、水無頼の離宮と称す
『夫木』   引き植ゑし里はみなせの庭の松ぬしなき色に春やへぬらん  後鳥羽院御製
『新古』   十月ばかり水無瀬に侍りし頃、前大僧正慈円のもとへぬれて時雨のなど申しっかはして、次のとしの神無月無常の歌あまたよみてつかはし侍りし中に
      おもひ出づる折たく柴のタ烟むすぷも嬉しわすれがたみに    太上天皇
 同     返し
      思ひ出づるおりたく柴と聞くからにみだれしられぬ夕煙かな   前大僧正慈円
『百練抄』に日く「建保五年正月十日水無繭の新宮に移御す」。
『東鑑』に日く、
建久九年正月十一日御脱履。承久三年七月鳥羽院に遷御したまふ。同じく八日、御飾を落し、同十三日、隠岐国へ遷御したまふ。延応元年二月二十二日、崩御。六十。五月二十五日顕徳院と追号し奉る。仁冶二年七月八日、顕徳院を改めて御鳥羽院と称し奉る。また太上天皇と号す云々。建暦元年、帝隠岐国に崩ず。後土御門帝離宮の址によって琳宮を営構す。明応三年八月二十三日、詔によって権中納言藤原敦国脚・左近衛少将藤原済継(ときつぐ) 卿を隠岐国へ使してこれを迎ひ奉る。その後、中納冒藤原兼成(かねなり)卿をして奉祀に使したまふなり。兼成の後世祠事を知らる。




水無瀬神宮(みなせ)  島本町広瀬3-10-24
元清和天皇の貞観年中惟喬親王の御別業地で、桜、山吹、菊の名所として知られ、後鳥羽上皇がこの地に離宮を造営。
承久3年5月承久の乱で北条義時に敗れ、壱岐に遷し、延応元年2月22日崩御される14日前に掌を押捺された悲壮な文を水無瀬信成・親成父子に残され、この遺詔に基づき、水無瀬殿の跡に御影堂を建て、冥福を弔った。後土御門天皇が水無瀬宮の神号を賜る。
明治6年8月に阿波、佐渡より土御門順徳両院を合祀。昭和14年3月1日官幣大社となり水無瀬神宮と改称す。


神門 桃山時代(1592~96)の薬医門。右柱に石川五右衛門の手形があるという。


拝殿  祭神:後鳥羽天皇(ごとば)・土御門天皇(つちみかど)・順徳天皇(じゅんとく)
寛永年間に京都御所の旧内待所を移築。昭和4年改築。


客殿 豊臣秀吉が寄進した桃山時代の建立。国指定重要文化財。


春日神社 祭神:武甕槌神命(たけみかづち)・経津主命(ふつぬし)・天児屋命(あめのこやね)・比賣神(ひめがみ)


柿本神社 祭神:柿本朝臣人麿郷(かきのもとあそんひとまろ)


星阪神社 祭神:星阪但馬守正茂命(ほっさかたじまのかみまさしげ)
もと西国街道の買屋町にあったが、明治10年に移った。星阪正茂は子能茂とともに後鳥羽上皇に仕え、能茂は遺骨を洛北大原の法華堂に納め、出家して西蓮と号し上皇の冥福を祈って諸国を行脚した。


稲荷神社 祭神:蔵稲魂命(うかのみたま)


手水舎 昭和60年環境庁認定の「全国名水100選」のひとつ、「離宮の水」を求めてポリタンク持参の方が絶えない。

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