南山安岡寺般若院(なんざんあんこうじはんにゃいん) 服部村にあり。天台宗。坊舎六区
安岡寺に詣で侍りて
如意輪はねがひのままにめぐりきて身をやす岡の寺におかばや        水無瀬氏成卿
本尊如意輪観音(開成皇子の作。長一尺五寸。脇士、左不動尊、弘法大師の作。右毘沙門天、運慶の作)
阿弥陀堂(本堂の南にあり)開山堂(本願開成皇子、開成皇子の弟子開智禅師の像を安ず)
般若塔(本堂の上にあり。開智禅師一字一石の大般若経を習写し、ここに蔵む)鎮守祠(八幡・天照大神・春日・住吉・山王・天満宮・弁天・稲荷・大将軍)
文月のはじめ津の国南山安岡寺に侍る教寿院といふ僧のもとにまかりて、終日あそびなどしけるに、所のさま、里とはからねどさびしきかたはまことに世をはなれたらんやうにて、すまばかからん所にこそといとうらやましく覚えてうき事もよそにみなみの山ならむ世にすみやすき岡のペの寺  水無瀬兼豊卿
南山般若院に遊ぶの記           草山元政
その山高からずと雖も、遠く聚落を阻つ。幽僻にして欣ぷペし。名づけて南山と日ふ。開成皇子の聞く所、いはゆる安岡寺なり。寺荒廃を歴て、今存するは僧舎四つ。頃日、新堂に如意大悲の像を安ず。すなはち皇子刻む所なり。多聞天その右に在り。不動尊その左に在り。皆彫刻巧妙なり。山上の高き処に石塔有り。僧これを指して日く、これ、皇子、石経の般若を蔵むるの処。その経、毎石一字、天童、石を集めて皇子新たに書す。余、履を脱して進み、顧みて僧に謂ひて日く、この許垣を廻らして人をして踏むこと無からしめば可からんや。僧の日く、しかり。山下の憔子もまた、能く知りてこれ敢へて径に践まず。但、外客のいまだ能く知らざる者の為にこれを為さんこと、苟に善し。山上に一望すれば、摂の山水画けるがごとし。只減むらくは、一亭[木射]の人の遊眺すべきこと無きことのみ,僧、延きて一坊に入る。壁に二十六羅漢を掛く画[巾登]倶に新たなりさ これを問ふ。僧の日く、近画きて軽せしむ。いまだ乾かずしてこれを曝すのみ。余窃かに嘆、寺の荒寒なる者多く旧物を鬻いで、且く一日の活と為す。貴とぷべし、この僧のかくのごとくその勤めたること。後に堂有り。潔浄にして塵無し。虚空蔵菩薩を安ず。壮麗端厳たり。僧の日く、これ、菅丞相の造る所なり。余、就きて、霊宝および縁起を求む。僧、すなはち多く画像を展ぶ。その中、不動の像最も奇古なり。五色漸落すと雖も神彩人に逼る。僧の日く、智證大師の筆んsり。聖徳太子の像もまた奇なり。また、三千仏の像有り。僧の日く、毎歳十二月、朔より三日、仏名経に依りて、日に千仏を礼す。今に至りて式と為すと。巳にして、余、縁起を繙とく。坐客側に聴く。日影己に斜なり。余、疾舌にこれを読む。八百余年の事、須臾に経廻す。若しそれ、長と短とは誰か得て思量せん。読み了りて僧を揖して出づ。指す僧は良盛なり。
寛文壬寅十月二十一日、南山般若院に題す 元 政
南山幽邃田無隣 南山幽邃にして四に隣無し
堂閣高安如意輪 堂閣高く安ず如意輪
林下逢僧訪遺跡 林下僧に達ひて遺跡を訪ひ
坊中延客慰吟身 坊中客を延きて吟身を慰す
三千諸仏礼来久 三千の諸仏、礼し釆たること久し
十六応真画得新 十六応其、画き得たること新たなり
般若塔前回首看 般若堵前、首を回らして看れば
色空空色絶風塵 色空空色、風塵を絶す
右『革山集』に出づ

安正寺(真上村にあり。禅宗)
本尊千手観音(僧正行基の作。座像。丈六)堂前に梅の古木あり。梅見四時青くして落ちず。ゆゑに世に青梅の観音と称す。


安岡寺(あんこうじ) 高槻市浦堂本町41-1          
勧請掛(かんじょうがけ) 天台系単立 南山般若院 宝亀6年(775)、光仁天皇の子、開成皇子(かいじょうおうじ)の創建。 弟子の開智が一石一字の大般若経600巻を書写して背後の岡に安置したことから、安岡寺般若院と称する。神峯山寺などと同時期に建立された山岳寺院。 永禄(1558−)の三好の兵乱と天正(1573−)の高山氏の兵火にあい荒廃。寛文頃、良盛が再建。


総門

 


本堂 本尊:如意輸観音(秘仏)



鐘楼

護摩壇と不動尊像 


富山開山開成皇子


鎮守社               観音御霊水


般若塚
HOME > 巻五 島上郡
inserted by FC2 system