『摂津名所図会』天石門別神社 茨木庄にあり。『延喜式』出づ。この地の産土神とす。祭神豊磐間戸命。

〇因に云ふ。すべて村里の生土神『延喜式』の神名を喪ひ、あるいは蔵して牛頭天皇と称し、神代の天神を天満天神と呼び、または八幡宮・稲荷・春日と唱ふ事当国に限らず。山城大和にもほぼ見えたり。
土人神名のむつかしきを嫌ひ云ひ馴れたる名高き神号を呼んで一村の生土神と祭ると。世上みなこの義と思へり。
愚按ずるに左にあらず。元亀天正の頃織田信長公四海掌握の計策により、南蛮国より邪宗門を招き寄せ比叡山を焼討にし、大坂本願寺を攻め、高野山まで亡ぽさんとしたまふ。それより諸社諸山を滅亡する事多し。
初めは日蓮宗を信じこの宗徒を以て諸山を減はさんとす。日蓮宗これをいなみしたがはざりしかば、またこの宗徒を追放す。六ヶ年が間この宗門京都に一人もなし。多くは泉州堺津あるいは備前備中の方へ逃げ趨る。織田侯亡びて後豊臣公に至りて元の地へ返る。
殊に当国は織田方高山右近在城し、この辺の神社仏閣を破却する事多し。しかれども神社の中において、天照大神・祇園・牛頭天王・八幡宮・春日・稲荷・天満宮は神国の名神なれば破却する事を恐れしよりこの禍を免る。
これによって『延喜式』の遠き神名を隠して名神の神名にして愁訴し災を免れたるなり。古代の神名のかくれたるは多くこの所謂によるなり。殊に信長の生土和は尾州津島牛頭天皇なり。

 C天石門 (1) 
天石門別神社(あまのいわとわけ)  茨木市元町4-3 茨木神社境内
祭神:天石門別命(あまのいわとわけ)・天宇受売命(あまのうずめ)・豊国神(とよくに)・東照神(あずまてる) 
宮元町にあったものを遷し、茨木神社の奥宮とす。昭和49年(1974)建立。 

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