芥川古城(あくたがはのこじょう) 芥川村に古跡あり。
貞和より康宏の由まで芥川右馬允ここに居し 、三河守に至って始めて城を築き、永正年中三好希雲第(きうんだい)三男 孫次郎長則ここに拠り、希雲は細川高国に殺され、長則は洛の百万遍寺にて 自殺す。その一子孫十郎ここに拠る。天文二十二年八月長慶これを逐ふて、 孫次郎儀興をしてこれを守らしむ。細川六郎・織田七兵衛・土岐山城守ここ に拠る。今山城垣内と呼ぶ、すなはもこれなり





芥川城址(あくたがわじょう)  高槻市殿町8
正平年中(1346-70)芥川三河守が築いたという。東西200m、南北220m、芥川の流れを利用した中世在地土豪の居館。
永正頃、三好孫二郎が在城したが、細川高久国に敗れ落城した。天文年中(1532-55)三好長慶の為落城し、長慶父子が入城したが、 永禄年中(1558-69)織田信長に敗れた。和田惟政も在城した。
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