芥川(あくたがわ) 水源山州乙訓郡外畑の山中より出で、本郡原村に至り本山渓と合し、服部・芥川を経て唐崎に至って淀川に入る。芥川村、駅路なり
   『拾遺』    人をとく芥川てふ津の同のなにはたがはぬ物にぞありける     承香殿中納言
   『金葉』    津の国のまろやは人を芥川君こそっちき瀬々は見えしか     読人しらず
   『夫木』    花もまた散りぬる果ての芥川かへらぬ波に春ぞ幕れぬる    為 顕
    同    はつかにも君をみしまのあくた川あくとや人の音信もせぬ    伊 勢
『伊勢物語』云ふ、
むかしをとこありけり。女のえうまじかりけるを年を経てよばひわたりけるを、からうじてぬすみいでて、いとくらきにきけり。あくた川といふ河をゐていきければ、草のうへにおきたりける露をかれはなにぞとなんをとこにとひける。
『闕疑抄』に玄旨云ふ「あくた川作り物なれば禁中の芥ながす川などと云ふ儀もあれど、それにも及ばず。ただ芥川にておくべし」。




芥川(あくたがわ) 大阪府高槻市を流れる淀川水系の一級河川。全長25km


芥川に架かる橋の両端の西国街道に地蔵堂があります。

 
芥川西岸には大きな地蔵立像が祀られています。          東の橋詰地蔵尊には4体の地蔵尊が祀られています。

 
こちらは3体お祀りされ、中央の地蔵は子供を抱えている様から、 マリア地蔵とも言わています。

>
芥川一里塚  高槻市芥川町3-5
一里塚は江戸時代、街道の1里(約4km)ごとに塚を築いてエノキを植え、 路程の目印としていました。街道の両側に榎がありましたが、北側の榎は枯死したといいます。三島郡には3ヵ所の一里塚がありましたが、現存するのはここだけです。
山崎通(西国街道)は江戸時代、西国の諸大名もひんぱんに往来し、道中の旅人らで賑わったといいます。ここ芥川宿は茨木の郡山宿、箕面の瀬川宿に比べて格は低いが、治安が良く、天保年間(1830-43)には本陣、旅籠33軒を数えたといいます。
HOME > 巻五 島上郡
inserted by FC2 system