安威川(あいかは) 水源丹州桑田郡熊野岳より出でて、本郡清坂・音羽・銭原山を経て車作・生保・安威・大田・西川原を過ぎて溝杭(みぞくい)の北に入りて溝杭川といふ。別府に辛つて神埼川に入る




 安威川は北摂山地から大阪平野に流下する淀川水系の北摂最大の河川です。
京都府亀岡市の竜ケ尾山南方を水源とする東掛川が最上流部で、この東掛川と仁科川が合流して柏原川となり、大阪府に入って安威川と名を変えています。  
さらに下音羽川を合流して茨木市と高槻市の間を南流し、安威地区で平野に流出しています。
この安威に流れる川ということで名となっています。


バス停「安威」の辺りに、先人が築いた2つの井堰(いせき)があります。


一ノ井堰


五社井堰
一ノ井堰と五社井堰で、両堰は100mほど離れてあります。
一ノ井堰は桑原・安威・十日市・耳原・西河原・田中・倍賀・上中條・五日市・下中條・畑田の右岸11村に水を送り、 五社井堰は太田・宮田・富田・西五百住・赤大路・中城・総持寺の左岸五社組7村の田に水を送っていました。
上流の村が堰を堅固に築くと下流へは水がいかなくなってしまいます。そのため、水不足の年には両堰からの取水をめぐる争いが絶えず、古くは寛永2年、また、宝永6年、享保12年にも訴訟事件が起こっています。
さらに文化6年から文政7年までの16年もの間争い続け、奉行所もお手上げで、ようやく近郷の庄屋5人の調停によって妥協が成立したといいます。
今では農家も少なくなったうえ、安威川河川改修工事で一ノ井堰は昭和26年、五社井堰は49年にコンクリート製となり、水論争もなくなりました。


安威の上流、大門寺に行くと高架橋が建築されています。
府道40号茨木亀岡線がダム建設で湖の底に沈むため、付け替え工事が進行中です。


安威川ダム (完成予想図)
安威川ダムは淀川水系安威川の大阪府茨木市北部に建設する多目的ダムです。
昭和42年には安威川流域で死傷者61人、家屋の全半壊41戸、浸水家屋約2万5千戸の被害をだして、黒田了一大阪府知事による革新府政の下で治水ダムとして始まりました。
しかし、安威川ダム事業は、計画発表から現在まで30年経過して、今だ本体工事は未定という日本の長期化ダム事業の1つとなっています。

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