神明宮(しんめいぐう) 西天満にあり。祭神、天照太神。
社記に云ふ、むかし左大臣融公難波津遊歴の時、ここに勧請したまヘリ。
その後文治年中、渡辺・福島において源義経・梶原景時逆櫓の論ひありし時、廷尉義経当宮へ願書を収む。
その外寄附物等今にあり。また後醍醐天皇、嘉歴年中当宮を勅願所とし行幸ありしとなり。その時社頭も魏々たりしに、足利尊氏兵乱の時荒蕪し、今僅かに遺りぬ。
例祭六月十六日。世俗、上町を朝日と号し、内平野町を照日と号し、当社を夕日の神明といふなりとぞ。その証詳らかならず


神明社
神明社舊跡(じんめいしゃきゅうせき) 大阪市北区曽根崎1丁目
嵯峨天皇の皇子、源融公が弘仁12年(1487)に天照皇大神、豊受大神を祀る。



神明社

明治40年に露天神に合祀される。夕日の神明とも云われる。
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